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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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№82 事故渋滞


アネモネ
2017.02.04(土)
昨夜は無事に二泊三日の旅行を終えたが、予定を大幅に遅れての帰宅となった。

ホテルから上野駅前までバスで戻ったのだが、大磯サービスエリアでトイレ休憩。帰路に向かって走り出した直後、大和トンネル付近で事故発生との一報が入った。

しばらくすると、みるみるうちに渋滞しだす。

最初は2台の事故車のような情報だったが、実は二か所で事故が起こっていたらしい。

こうなったらもうどうしようもない。
ただ、ノロノロ進むにまさせて、ただじっと席に座っているだけだ。

情報は時折入っては来るが、渋滞に巻き込まれて2時間くらい経つと、寝るのにも飽きて、退屈になってくる。お尻もそろそろ痛い。満員の狭い車中に長時間閉じ込められていると思うと、息苦しさも覚える。

そんなときはiPhoneだ。
さっそく音楽を聞いたり、ラジオでニュースを聞いたり、はたまた、道路状況を確認するアプリで渋滞の状況を見てみたりと、いろいろやって時間をしのぐ。
リアルツイートを調べてみると、なんと6台もの追突事故のようだ。
確かに、渋滞の状況を見たからといって、早く進めるわけではないが、それでも何となく気分が晴れるというものだ。

それでもまだまだ、殆ど動かないような渋滞の状況だった。
救急車や事故処理車がずいぶん前に通っていったが、それすら夢の事のように感じられる。

そこで今度は落語を探してみた。
春風亭昇太さんの創作落語を検索。
YouTubeであった!あった!

本当に便利な世の中になったものだ。
そんなことを思いながら、イヤホンから聞こえてくる昇太さんの落語に、声を殺して笑う。
落語を三作聞き終えた頃、やっと事故現場である大和トンネルの近くまで進んだ。
と思った瞬間、渋滞でこんがらがっていた車の集団が、解けるように一台、また一台、そして私たちの乗っているバスも、スピードを出して渋滞を抜け出して行った。

上野駅までは、ジェットコースターのような運転で、逆に事故らないか心配した程だったが、あっという間に到着した。

乗客はほとんどが高齢者。3時間半から4時間もの間の渋滞の時間、誰一人気分が悪くなる人が出ることもなく、無事に戻れたことは、本当に有り難いことだと感じた。
思わぬハプニングで遅くなってしまったが、沼津・湯河原の夫のお誕生日旅行。
無事、帰還となった。

(記入 2017/02/05)

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№81 富士山



アツモリソウ
2017.02.03(金)

今日も旅先から。

温泉や食べ物の事は、もちろん楽しみには違いないが、私にとって旅の1番の楽しみは、知らない土地を訪れることだと思う。

見たこともない景色や、そこでしか見られない風景は、テレビでいくら見ていたとしても、その場に自分の足で立ってみるのとは全く違う。

例えば今日沼津から見た富士山。

いくら富士山を知っていても、その圧倒的な存在感は、やはり目の前にしてみないと、全く違うということを、今日あらためて知った。

今日の午前中は、沼津市街を散策したのだが、最初、富士山がどこにあるのかも分からなかった。
ところが突然高層マンションの上に頭を出した。

巨大な富士山に驚いたのは、まさかこんなにも近くに見えると知らなかったからだ。

その後も、移動した場所から見える富士山の姿や、刻々と変わる雲の形を長い時間眺めて楽しんだ。

沼津駅前の横断歩道で、メロディーが流れていたが、その曲の通り、
「富士は日本一の山」だと思った1日だった。

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№80 夫の誕生日


アッツザクラ
2017.02.02(木)

我が家では、私の誕生日も夫の誕生日も、特に高価なプレゼントをしたりはしない。


そのかわりとも言えるのが、旅行にいくことだ。

ということで、本日は、沼津から日記を書いている。
目の前には沼津市街と駿河湾が広がっている。温泉に入って、食事は来る前に仕入れたお寿司だ。


豪華な食事付きの旅行もいいが、地元のスーパーで仕入れた物もなかなか面白い。
特に今日は海も近いので、スーパーのお寿司のにぎりに、生しらすも入っていた。
新鮮なだけでなく、ネタが巨大でとても驚いた。


好きな物を、好きなだけ食べて、気楽な旅はいう事なしだ。


地元の話題が中心のテレビを見ながら、キラキラと眼下に広がる夜景を眺め、旅の気分を楽しめば、あとは爆睡とおきまりのコースだが、今夜は誕生日。
ゆっくり飲もうと思う。

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№79 マスク依存症


アセビ
2017.02.01(水)


今朝テレビを観ていて、マスク依存症というものがあるのを知った。
やはり…といった感じで、驚きはしなかった。

それというのも少し前に風邪をひいて、咳が出るので仕方なく、職場でマスクをしていた。
その時に、自分の顔の表情が他人に知られないという気楽さがあることを初めて知ったからだ。

最近は風邪をひいていなくても、予防のためだったり、花粉症の為だったりと、マスク姿の人をみても、見慣れた感じがする。

けれど私自身は殆どマスクをしたことが無かったので、反射的に「むかっ」とくるようなことを平気で言うような人がいる今の職場では、マスクをつけている方が気が楽だと分かったのだ。

テレビの中でも言っていたが、まるで「マスクに守られている」ような気持になるのだという。

マスクをつけていれば無理に笑顔を作ったり、相手に自分の気持ちを知られないように、気持ちを抑えたりしなくていいし、何より「ぶすっと」した顔をしていても、誰にも知られないのだから、それは楽に違いない。

でもその時ふと思ったのだった。

私はそんな風に「楽」をとっていたら、何かあとで大きなしっぺ返しにあいそうな気がした。

誰にも見えないからといって、嫌な気持ちをどんどんマスクの下で膨らませていくような、そんなゾッとするような感覚だ。

本当はそんな嫌な自分が存在しているのだが、人の目があるだけでなく、やっぱりお天道様の目があるから、なんとか人として取り繕って生きているのかも知れない。

「マスクや…恐ろし恐ろし」だった。

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№78 誕生日


アスチルベ
2017.01.31(火)

今日は次男の誕生日だ。

朝、起きてすぐ、寝ている次男に声をかけたときに「おめでとう」を言った。
実はたったこれだけ。
今回のお誕生日は、夕食も彼女と過ごすという。

「ごめんね。ありがとうね」
などと、私を気遣ってくれる次男だが、確かに寂しさはあるものの、内心は気楽になったなと思うばかりだ。

「お誕生日用のお料理をしなくて良いなら、ケーキだけでも少し買って帰れば良かったかな。せっかくケーキを食べる口実になるんだし」

などと、考えながら仕事から帰宅したら、まさかのケーキまで彼女が買って持ってきてくれたとのこと。

仲良く二人で食べたらしく、私と夫の分を冷蔵庫に入れておいてくれた。

子どもが小さい頃には、こんな日がくるとは想像できなかった。夫と二人でケーキに舌鼓を打ちながら、子どもが一人前になるということの有り難さをしみじみ感じた。

子育ては、本当にあっという間の出来事なのだと、最近になって思う。

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№77 痩せる!


アザレア・ステラマリ
2017.01.30(月) 

去年から減量するために頑張って、食事や体重管理の記録をつけていたアプリ”あすけん”だったが、年末年始を過ごして体重は、やはりという感じで少し戻ってしまった。

ゆるゆると、毎日何百グラムの体重の変化に、一喜一憂してきたが、やっとお正月前の、最軽量を記録した時まで戻ることができた。

若い頃は本当に簡単に痩せられた。出産の後12㎏減量したこともあったが、それでさえ、苦労した感じは無かった。

焼き肉を食べれば3㎏くらいは太るけれど、二三日で簡単に戻せた。

私が40歳過ぎたころ、夫から体重管理についてアドバイスがあった。なのに若い頃と同じように痩せられると思っていた私は、全く気にしていなかった。だが、今となってはものすごい後悔だ。

なぜ、あの時、もっということを聞いておかなかったのか…。
もっと、気を付けて、食べるとか、運動するとかしなかったのか…。

後の祭りとはこのこと。

こんなに太ってしまっては、着たい洋服も着れないし、何よりも健康に悪い。何とかして少しずつでも痩せられるようにしなくてはと思う。

とにかく、今日も”あすけん”でカロリーを調べ、ストレッチで体を整え、めげないで減量に挑戦したいと思う。

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№76 新規登録


アザミゲシ
2017.01.29(日) 

今朝は日曜日ということもあって、のんびり朝の時間を過ごすことができた。
余裕があったので、最近気になっているアプリを調べて登録してみたりした。

アプリは今流行りらしい、売り買いが簡単に出来るというものだ。

実は去年、可愛がっていた白文鳥が死んでしまった。
具合が悪いことは分かっていたが、2羽とも10年くらいは生きていて、病院に連れていくのもためらわれた。
出来ることといえば、餌やおやつ、それに鳥かごなどの住む環境のお世話だけなので、少しでも長生きして欲しくて、いろいろ購入してしまった。

でもそんな願いもかなわず、相次いで2羽とも亡くなってしまった。

死んでしまって残された餌や、まだ真新しい鳥かごを見るのも悲しい日々だったが、ようやくこのまま未使用で捨てるのはもったいないと思えるようになってきた。

「鳥好きさんにタダでもいいから使ってもらえないかな…」

そんなことを考えて思いついたのが、売り買いが簡単にできるアプリだった。

だが、ネットを介して個人でやりとりすることに、本当はかなり抵抗を感じている。
今ではFBなどで個人が特定しやすいものも利用しているから、ネットを使い始めた頃に比べれば、抵抗感は薄れてはいるが、金銭が発生するようなやり取りや、直接相手に住所が知られるようなことには、かなり脅威を感じるというのが本音だ。

どんな仕組みで取引が行われるのかということも含めて、とりあえず登録して調べることにした。

まだ、実際には使っていないけれど、使い方をよく調べたうえで、餌の消費期限が切れる前に、ぜひ挑戦してみたいと思う。

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№75 宇宙の波の音


アガパンサス
2017.01.28(土) 

少し前からだが、寝る前に気になることがある。
それは、いろいろな音が聞こえてうるさいことだ。

もしかして、これは病的なものなのか、それとも誰でもそうなのか、よく分からない。

眠れぬほどうるさいということは無くて、ちゃんと眠くなったら眠られるし、何か他の事に熱中していれば、気になることも無い。

だが今日のように、静かな夜を一人楽しんでいるときに、ふと音が聞こえている気がするのだ。

少し面白がって、聞こえる音を観察してみると、様々な音が入り混じっているように感じられる。どういう音なのかを言葉で言い表すのはなかなか難しい。

ぴーとか、きーんとか、わんわんとか、さーっとか…。やっぱりうまく言葉にはできないが、どうも何種類かの音が聞こえている気がする。

私はこの夜になると聞こえる音を、宇宙の波の音と名付けてみた。

そうやって名付けた瞬間から、嫌な気持ちは無くなって、不思議なことに宇宙から沢山の粒子が降り注いでいる気がしてくる。
目には見えないけれど、音でかすかに感じることがでる宇宙の波の音だ。

そういえば、これは昔からなのだが、夢の入口に入る瞬間を見るのも面白い。

これはどういった状態かというと、眠りに着く為に目を閉じて、目の中をみていると、眠りに落ちるまでに目の中でいろいろな物が見えてくるというものだ。

実際にはもう眠っていて夢の映像を見ているのかもしれないし、まだ意識が少し残っていて、脳に残っている残像のようなものを見ている気がしているだけなのかもしれない。

難しいことは分からないが、こんな風にして夢と現実のはざまを楽しんだりすることもある。

こんなことを書くと、人は私のことを変人だと思うだろうか。
けれど、自分でもこんな変なことを感じていたり、楽しんでいた自分をここに記録しておこうと思う。

実際にはただの気圧の変化なのかな…という気もするが、どうせなら宇宙の波の音の方がロマンチックな雰囲気で面白い気がする。

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№74 週末


アカツメクサ
2017.01.27(金) 

あっという間に一週間が経つ。
そしてあっという間に一か月が経つ。
気が付けば一年が過ぎていて、そう思うと、東京へ出てきて早13年…くらいかな?

夢のような出来事に感じられる。
何もかもが夢。
そんな風に10年前の事を思うと、なんと不思議なことだろうと思わずにはいられない。

今日も今日とて一日を過ごした。
明日はどんな一日になるのか分からないが、必ず明日という日は来るのだ。
そんな風に積み重ねた時間が年月になる。

東京へ出てきいつの間にそんなに年月が経ったのかと信じがたい気分になる。

私たちが最初に居を構えたのは練馬だった。
東京へ出てきて初めての夜は池袋のホテルだったことが懐かしい。

テレビの中でしか見たことが無かった池袋に自分が居ることがとても不思議だった。
今でも池袋界隈がテレビに映ると、懐かしい気分になってしまう。

新しい生活の故郷のように、私の心の中に残っているのだ。

今住んでいる場所は、私にはちょうど良いくらいの田舎さ加減だ。
便利な場所でもあり、畑や田んぼがあったりして、のどかなところが好きだ。

知らぬ間に時間が速く過ぎるようになっている気がする。
怖いくらいにどんどんスピードを増しているようだ。

変わらないのどかな風景を見ながら、ひとり思った。

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№73 達人達(たち)を観て


アオイスミレ
2017.01.26(木) 

今日、録画した物の中から、
[SWITCHインタビュー 達人達(たち)「行定勲×宮本輝」 - NHK - ]
という番組を観ていて、初めて宮本輝という作家さんを知った。
対談相手は「世界の中心で愛を叫ぶ」の監督さんだった。この映画は知っているが、監督の名前も今日初めて知った。行定 勲さんという名らしい。共に有名な方なのだろうが、私は知らないことが多すぎるといつも思う。

それはさておき、宮本輝という作家さんの言葉で、とても心に残ったことがあるので書き留めておこうと思う。

宮本輝さんは『泥の河』という作品で太宰治賞を受賞。『蛍川』で芥川賞を受賞した方だそうだ。もちろんこれらの作品は共に読んでいない。だが『泥の河』については、映画化された場面も紹介され、簡単な内容も番組の中で取り上げられていた。

この映画を通して、”原風景”ということについてのお話もされていたが、それはまた別の機会に書くとして、その後の宮本輝さんの話しの中から、印象に残ったことがある。

自分が何か書きたいことを書いていて、数十ページ書き終えて読み返すと、なんだか違う。それでここも足りない。こっちも足りないと書き足してみるが、どんどん書きたかったことから離れていってしまうように感じたそうだ。

そんな作家修行時代の出来事として、師匠と言われる人が、宮本さんの作品を読んで、付け足した箇所をあっさり削除したそうだ。
宮本さんが一番気に入っていた書き出しの部分も、あっさり要らないと赤ペンで削除したらしい。

そしてその師匠がこう言われたそうだ。
「この最初の部分が無かったことにして話しが書けたら、君は天才だよ」

宮本さんはとても腹が立ったと言っていた。自分が一番気に入っていた部分や書き足した部分をあっさり要らないと言われたのだから、それはそうだろうと思う。
だが夜中に一人読み返してみると、その師匠の言ったことが分かったという。

「書きたいことは書かないで、書きたいことを書く。」
これが極意らしい。

私が少ない読書の中でも読みたくなる作品には共通点がある。

それは作品の中に存在しているけれど、書かれていないことだと思う。作品の中に適度にちりばめられた、書かれていないけれど書かれているものが見えてくると、ワクワクしてどんどん作品の中にのめり込んでいく。

読み終えた後の満足感と、作品全体から伝わってくる作者の想いは、読み終えた瞬間に自分自身の言葉でしか表現できないものだ。これは作者によって自然と導かれることもでもあるし、作者の意図したところではないかもしれない。もちろん作者の思惑通りかもしれない。だが読み手の私の感性が租借した想いは、作品を通して作者と私を結び、時には共感と感動になるのだと思う。

私は書き手ではないが、何か書く時には細かく描写することが好きだ。こんな何でもない日記の中でも、伝えたいことはどうしてもくどくなってしまう。
まさしく伝えたいからこそ、これでもまだ言い足りない。これでもまだ伝わらない。そんな気持ちが書き足さずに要られなくするのだと思う。

「足らないところほど、もっと足らなくする」
天才所以の言葉かも知れない。
宮本輝さんの作品の一つである『錦繍』を読んでみようと思う。

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