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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

ダイエット宣言



№5  2018.08.18(土)

年齢と共にダイエットも難しく、結局のところ私は魔女にはなれず、ただのおばちゃんだ。

知り合ったころからすでに大黒様のようなお腹をしていた主人も、さらに全体的に太って、二人そろって「デブ」になってしまった。

寝違いをして、朝からどうにも痛みが酷い私に向かって、そんな夫が一言。
「太り過ぎてるからだ。」

「はいはい。あなた様のおっしゃることに相違ございません。」
けれど人が弱っているときに、そんな言葉をかける意地の悪さ。
「そんな人でしたっけ?」

腹は立つけど、思っていることをそのまま言っても喧嘩になるだけだ。意地悪なことを言うような人の顔を、見ていたくもないのでさっさとキッチンへ避難した。

この暑さの中、朝食の用意をするのも本当は大変だしやりたくもないことだが、夫は家事は一切やらない人なので、いつもの通りに朝食用のお蕎麦を茹でる。

だが起き抜けに言われた一言に腹が立って、まったく食欲が無い。
ちょうど良いから、私は食べないことにした。

「痩せてやる。」

久しぶりに闘志が湧く。夫に言いたいことは山ほどあるが、一緒になって初めて口喧嘩をしたときに、
「そんな俺を選んだのはお前だ。お前が悪い。」
ということを言われてから、まぁ確かにそれもそうだなと納得してしまった。夫の母でさえ、この人は人の言うことを聞く人ではないと刷り込み済み。だからこそ責任感も強いし誠実な人ではある。ただ自分より賢い人はいない風なところが、私としては時々頭にくることがある。

まぁ、そんなことはさておき、夫に言われた一言で、真剣にダイエットをする気が湧いたことは感謝だろう。

そんなことでもないと、夕食後のナッツ類やチョコレート、それに二人ともが大好きなアイスクリームを、
「私は食べない。」
などと、夫に私は言えないのだ。
本当は、少量でも毎日同じ物を食べ続けるということに、実はずっと抵抗があった。夕食の量が多すぎるから太ってしまうのだと言われても、なかなか品数や量を少なくすることができない性格の私だが、食事の後のおやつ類こそが天敵ではないのかと、いつも思っていたのだった。
実際、鏡に映った自分の姿を見ると、本当に情けない気持ちになる。ナイスバディなんて望まないけれど、せめてせめて、数年前の小太りのおばちゃんに戻りたい気持ちだ。

そんな言葉を心の中で呟いて、何回目かのダイエット宣言をした。

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SNS

 
公演終了後の送り出し風景

№4  2018.08.17(金)

今日は物凄い強風が吹き荒れ、自宅に居ても窓ガラスが割れるのではないかと思われる程で、恐ろしい気持ちになる。だが反面、そのお蔭で気温が下がり、空を見ると青空も広がり爽やかな日になりそうだ。

ここのところの鈴丸さんに上げていた熱だが、夫がお風呂の脱衣所で意識を失って倒れてしまうという事件があったことで、憑き物が落ちたような気分だ。だからといって、鈴丸さんのことに興味が無くなったわけではない。ツイッターでフォローした様々な熱狂的ファンの方のツイートを見ると、ウットリもするし、また生で観てみたいとも思う。

だが、気持ちの冷めた一番の原因は、熱狂的ファンの方たちとの繋がりだ。

繋がりといっても、たった一回、ほんの数名の方にお会いしただけのことなのだが、やっぱり私はそういうお付き合いは苦手なのだと実感した。

別にその時だけのことであれば、普通に会話も出来るし、楽しい気分にもなる。だが。ツイッターでつながっているということが、どうも私の神経を圧迫している気がする。

そもそも、ツイッターだけでなく、インスタやFBなどのSNSでのコメントのやり取りが私は苦手だ。気を使い過ぎてしまうというか、その人だけに向けた言葉が、投稿したことで、空中に浮きあがって、世界中の人たちの目に触れる感じがしてしまうのだ。

世界中なんて大げさなことなのだが、それでも、呟いた言葉は、誰でもが見ることができてしまうことが、私にとってはとても怖いことであることに違いないは無い。

そのくせ、とても感動したりすると、怖さも忘れて投稿してしまうという矛盾ぶりだ。

呟いてみたい。他の人に自分の感動を伝えたい。そういう気持ちがあるくせに、人がどんなふうに感じるか、人からどんな風に思われるのかがとても怖い。
「そんなこと気にするならやらなければいいし、やりたいなら、何を言われたって平気くらいでいればいい。」
自分でもそう思うのだが、それがどっちつかずでこの20年近くネット生活を送っている。

ひと昔前ならネットで知り合った人とリアルで会うなどということは考えられなかった。しかし今は逆にネットで知り合った何かしら共通性のある人と更にリアルで出会うことが普通に行われている。

まさに先日の鈴丸さんのファンの方とリアルで出会ったことがそれだ。

よく考えてみれば、相手の人となりも知らず、ただ鈴丸さんのファンだということくらいしか知らない人と、リアルで出会ったりするのは初めてのことだ。それですごく疲れてしまったんだなと、ここに書いていて思い当たった。

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大衆演劇

№3 2018.08.02(木)



若い頃にはコンサートや観劇、美術館にも気軽に行ったものだが、結婚してからといえば、せいぜい子どもたちと映画に行くくらいで、お芝居を観るような機会は全くなくなっていた。

旅のテーマが花の写真を撮ることから、全国の有名所と世界遺産や城めぐりを経て、最近は温泉やスパ巡りに移行してきた。そんな中、スパランドで大衆演劇を観ることができることを知った。

そうはいっても全くの初めての経験だ。どんなものなのか、楽しみにして出かけたのだった。

場所は石和温泉。スパランドホテル内藤に一泊宿を取り、お風呂を楽しみながら、大衆演劇を2日間観ることにした。

ホテルに到着してすぐ、第一部のお芝居を観た。
まず、舞台までの距離が近い。役者さんたちの息遣いまで伝わって迫力もすごい。十分、いや、思った以上に楽しめる内容の濃いお芝居だった。

感動しながら30分の休憩を挟んで、第二部のショーが始まった。

次から次へと曲に合わせて踊る姿の艶やかなこと。そしてキメポーズに流し目。一曲終わるまで、お客様へのサービスは満点。男前な笑顔と女形の色っぽさが、まるでビーム光線のように振りまかれる。

今回、初めて観たのは「橘小竜丸劇団」という劇団だった。

誰がだれだかも良く分からないまま、男の人なのか、女の人なのか、それとも女形なのか、心が翻弄されるような、妖艶で美しく、時に凛々しいその姿に、ただただ釘づけになって見入った。変幻自在という言葉ぴったりに、「たぶん男性だよね。」などと、夫と言葉を交わす程美しかった。

夫がスマホで調べてくれた。そして囁いた。
「鈴丸って女の人みたいだよ。」

これが私と橘鈴丸さんとの出会いだ。



知らなかった…。清水の次郎長役の、あの清々しい男前の姿。座長ということで、舞台上での挨拶もカッコよく、ちょっとコミカルな感じもありの親しみやすさ。挨拶の中で、
「明日は腹を出しますので、ぜひご覧ください。」
と、おっしゃっていたので、どんな腹かと思いきや、なんとキュートでセクシーなおへそを出した衣装でのダンスを披露。



「腹じゃなくて、めちゃめちゃ可愛いいおへそやん。」
と、思わず関西弁でひとり突っ込みを呟いてしまった私だった。

こんな世界があったのだ。心が打ちふるえるようなお芝居と、とろけるような流し目。
こんな世界があったのだ。知らなかった。そして知ってしまった。

「あぁ、私はもう鈴丸さんのファンです。」

中島みゆきさんの歌を聞いて、ファンになった高1の春。あれから30年以上、こんな風に出会えて良かった。私はあなたのファンですと言いたい人に出会えたことは無かった。この年になってこんなに感動するなんて、本当に幸せなことだ。

これからの活躍が楽しみだ。お父さんの小竜丸さんの貫禄のある演技、そして美しい女形を観ていて、余計に鈴丸さんのことをずっと応援していきたいと思った。この鈴丸さんがどんな風に年を重ねていかれるのかを観てみたいのだ。

そして、男の人なのかなと思いながら、初めて観たこの日のことを、鈴丸さんとの出会いの日の思い出にしたいと心に刻んだ。

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№3 アナザースカイを観て




 2018.07.16(月)
最近、録画したテレビ番組、アナザースカイを観た。

ずいぶん前に偶然目にしたエアレースで室屋義秀さんという方がいることを知った。そしてそのカッコよさから、エアレースが開催されるときには自然に見るようになっていった。
千葉で行われた幕張大会で初めて優勝。そして翌年には総合優勝も果たし、本当に凄いと興奮したものだ。

室屋さんのアナザースカイの中で、東日本大震災が彼に与えた影響と、彼の背中を押した被災地の皆さんの想いと、そしてその後の優勝があったことを始めて知った。

人は生きていると、どうしようもない逃れられない悲しみに遭遇することがある。けれど、想像できないような辛い経験があったからこそ、その先に生み出される事もあるのだと知った。

自分の日々を思うと、なんと小さなことに一喜一憂しているのだろう。けれどそれもまた、生きるということだと思う。

何故生きているのかも知らず、何の為に生きるのかも分からずの私だが、それでもまだ生かされていることを想えば、生きていることこそに意味があるのかも知れない。あと何年生きるのか、生かされるのかも分からないが、一日一日を自分自身、少しでも納得できるものにしていく努力だけはしようと思う。

それこそが、取り返しのつかない後悔を背負って生きる私に出来ることの一つだと思うから。

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 №2 半年ぶり

 

2018.06.14(木) 

あっという間に半年経ってしまった。
その間何日間か日記を書いてはいたのだが、UPする気にならなかったり、UPする時間が無かったりして、そのまま放置してしまっていた。

怒涛のように作っていたお菓子やパンへの想いが、やっとここにきて少し落ち着いたので、自宅でもパソコンの前に座っている時間が増えた。右手の腱鞘炎もかなりましで、腰痛も以前に比べると、物凄く楽になった。

仕事の方はというと、こちらだけは相変わらずだ。

個人経営の歯科医院というのは、本当にお山の大将の一言で皆が右往左往する。そんな医院ばかりではないとは思うが、言うことに一貫性が無いトップを持つと、日々、翻弄されストレスは溜まるばかりだ。

だが、スタッフは皆仲が良いし、院長は出勤時に会うくらいなので、何とか退職しないでやっている。どこの職場でも良いことも悪いこともあるものだからと思うようにしている。

そして夫と二人旅。こちらも相変わらずだが、これだけが楽しみで、これがあるから今の職場でもなんとか耐えられている。
最近の旅は、なるべく温泉を入れて、2~3泊くらいの短めの旅行が中心だ。温泉と言っても、豪華な旅館の温泉の旅ではないのは今までと同じだ。
上手くビジネスホテルと温泉施設を組み合わせたり、立ち寄り湯を利用したりと、夫のプランはますますよく考えられているように思う。

お互いに元気で日本全国、まだまだ旅を続けていきたいと思っている。

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№1 今年も


2018.01.06(土)

明けましておめでとうございます。

去年の暮の12月は、なんと投稿数たったの2件。
毎日日記をつけたくて始めたブログなのに、なかなか筆の進まない一年だった。

一番の原因は腰痛と腱鞘炎。
仕事でパソコンを使って、一日中座って仕事をしていることが、体への負担だけでなく、自宅でパソコンに向かう気力を削いでしまっているようだ。

今年は何をやろうかなと、自問自答中。
書道とか絵画とか、全くやったことが無いことも、やってみたいなぁと思ってしまう。

先日友人に、お菓子やパンを作ることをいい趣味だと思うと言われて、
「ほぉ、なるほど、”趣味”なんだ。」
と、不思議な気分だった。

もちろんお菓子やパン作りは楽しい。客観的にみれば、そういう行為自体が”趣味”なのだろう。キッチンに立って、お菓子やパンを作ることは、気分転換には最適だ。作っているときの集中力と出来上がりのワクワク感は、日常の嫌なことを忘れさせてくれるようにも思う。

だがそんなお菓子作りの趣味が、私のやりたいことかと言えば、ちょっと違う気がしてしまう。

私がやりたいことは、実はもっと他にもあるのに、体力も気力も全く追いついていない。
それゆえ、生活の為の日常である仕事を続ける為に、お菓子やパンを作ることに没頭してストレスを発散させているのが現実なのだ。

実はこうして指先を動かして、胸の内を書き進めていく行為は、私にとってはちょっとした自慰行為と似ている気がする程心地よい。
ただ自分の心地よさに酔って打ち進めているこんな文章なんて、他人にとっては何の意味も無いだろうが、それだけに、私にとってはお菓子やパン作りよりも、物凄く濃いストレス発散だと思う。

仮に、読んでくれたどこかの誰かが、ほんの少しでも共感や感動を感じてくれるような内容が書ければ、それはとても嬉しいし、たまにはそんな記事も書いてみたいと思っているのが本音だ。

初夢は毎年みてはいるがすぐに忘れてしまう。だが自分の夢は忘れないで今年も過ごしていこう。

その為にも体力をつけて、気力を充実させられるように、今年もまた夜空を見上げながら、自然を体感しながらウォーキングに励んでみようと思う。
そして時にはこうして、想いを指先から紡ぐように、書くことを楽しんでみようと思う。

それが私らしさを一番思い出させてくれることだと思うし、それこそが私の生きている意味でもあると思うからだ。

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№213 ドラえもんのポケット



2017.12.16(土)

先日、女芸人ナンバーワンを決めるという番組で、ゆりやんレトリィバァさんが優勝したが、その時のドラえもんネタがとても心に残った。

ぴっちりとしたドラえもんのタイツ姿でネタを披露したゆりやん。
のびた君に話しかけるように、ドラえもん風に話し出した。

お腹にある袋に手を入れたが、どんな道具が出てくるのか思ってみていると、一つ目の話しの解決策は、「嫌なことはやらない!」というものだった。
そして二つ目の問題に対する解決策は、何と何と「気にしない!」というもの。

笑いの中に、目から鱗の元気玉が、私に向かって投げられた気がした。

とかく、人から何かを頼まれたりしたら、少し図々しいなと思っていたとしても、なかなか断ったりは出来ない性格の私だ。
「そうだ。嫌なことは嫌だと、やらなければいいんだ。」
大笑いしながら、心の中で思っていた。

そして、もう一つの解決策。
「気にしない!」と、ドラえもん風に大きな声で言い切ったゆりやんを見たとき、なんだか自分のお腹にも、ゆりやんと同じドラえもん袋があったことを思い出した気がした。

道具は出せないけれど、みんなドラえもんの不思議な袋は持っているんだなと思った。
私も、ドラえもんの袋を持っていることを忘れないで、何かあっても、「気にしない~!」という見えない道具を出してみようと思う。

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№212 心の中の根っこ


2017.12.9(土)

退職してから一度、職場に立ち寄った彼女は、まさかの「ここは良い職場だから辞めたらダメだ」発言に、スタッフ一同ドン引きしたが、つい先日、職場の近くのスーパーでバッタリ再会したときは、今働いているところの院長が、「”ありがとう”という言葉をかけてくれるので、最初はびっくりした。」と、にこやかな笑顔で話してくれた。

人とは面白いもので、自分の状況が困難なときには、嫌で辞めたところであっても、懐かしかったり良かったことが思い出されるものだ。
きっと今は、新しい職場でもずいぶん馴染んで、余裕が出てきからこその言葉と笑顔なのだと思った。

もっと酷い上司がいる中で仕事をしている人。意地悪な同僚との関係に悩みながら働いている人。いろいろあると思う。

歯科医院の特徴としては、院長がオーナーである個人経営の所が多い。その為いろんな意味で「オラが大将」的な、小さな小さな世界になりがちだと思う。

私は苦労している方なのかどうなのか…、それはよく分からない。

人には感じ方の差というものがある。
同じ切り傷でも、痛みの感じ方に違いがあるように、心が受けるダメージも人それぞれだと思うからだ。

もっとたくましくなりたいと思う反面、傷つきやすくすぐに落ち込んでしまう自分が愛しいような、そんな気持ちがあることも否めない。落ち込んだり、傷ついたりすることが、本当に嫌ならば、そんな自分とはおさらばできそうな気もするが、手放せない自分があるからこそ、こんなに長く生きていても、変わらない自分がいるのだろうと思う。

その上私は、親から愛されなかったという想いが強い。それゆえに、自分に自信が無く、常に失敗を恐れ、人からの指摘や批判に対して敏感に反応してしまうようだ。

今の主人と出会って、やっと生きていてもいいのだ。私は必要とされているのだと、思うことができたが、抜ききれない根っこの芯のようなものが、心の奥深くにあることを、いまだに時々感じてしまう。

いつまでも心の中に残った根っこをいじくりまわしていないで、水に流すという言葉のように、全てを洗い流して心の中を綺麗にしてみたい。
そろそろそんなことも出来るのではないかと思えるほど、年は重ねた気がするから。

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№211 同窓会



2017.11.19(日)

約37年ぶりに高校時代の友達に会うために同窓会に参加してきた。

いつの間にそんなに月日が経ったのかと思うほど、少しばかり不思議な感覚だった。
数年前から同期生の合同ということで、同窓会が開催されていることは、FBで知るところとではあったが、実際に同窓会に行く決心をするには、中々敷居が高った。

それというのも私は、高校を卒業してから意識的に付き合いを避けていた所があるからだ。

思うように進学出来なかったことや、仲の良かった友達が殆ど短大へ進んだことなど、就職したことが負い目になっていたんだと思う。

時は流れ、流れて、そしてもうそんなことなど、どうでもいいような年になったのだと思う。そういう意味では、FBで高校時代の友達たちと再び繋がることが出来たのは、今のネット社会のお蔭だ。

それでも、同窓会に行くにはかなり勇気がいった。
だが、行ってみると、次から次へと話しが弾む懐かしい顔、顔、顔…。食べる暇も無い程おしゃべりに興じ、喉はカラカラ。興奮しているので汗もダクダク。立食パーティなのに、殆ど食べないで、何とか飲み放題だけは元を取った感じの3時間だった。

特に会いたいと思っていた友達は、やはり部活の面々。バドミントン部のみんなだ。
そして記憶に残る担任の先生。それから現在FBでよくいいねを押してくれている友達。

そしてそして…高校時代のほのかな思い出のある男の子。
といっても、すっかりオジンになっていたし、私ももちろんおばはんには違いないが、やっぱり淡いような恋心を抱いた彼の姿を見ると、何ということも無く嬉しかった。

お互いに変わり果てた姿を笑い合い、それでも話し方や仕草は高校時代そのままで、薄くなった頭髪にもかかわらず、少年だった面影はやっぱり見て取れる。

面白いものだ。

歳月が流れた40年近く。皆それぞれに仕事をし、伴侶をみつけ、子どもを育て、もう孫がいたりと、人生の一通りのことを経験したようだ。

この年になれば亡くなった友達も数名いる中で、こうして元気に会えたことは、本当に嬉しい出来事だった。

子どもでいられる時間なんて、何と短いことか。だからこそ、きらめいていたように感じるのかもしれない。
同窓会の会場を後に、京都タワーを見上げながら思った。

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№210 怪我


ハナイソギク
2017.11.23(日)

怪我と言っても大したことは無い。

昨夜、夕食の準備をしていたときに、珍しく人差し指の腹を軽く切った。
これは先日焼いた、りんごの薔薇ケーキを切るときに包丁を砥いだので、とても良く切れるようになっており、少し刃先に触れてしまって切れたものだ。
といっても、わたしにすればかなり珍しいことで、あれ?と言った感じだった。

そして今日は、夫の散髪をしようと思い、バリカンを包んでいる布を留めている輪ゴムで、右手の、これもまた人差し指を切った。
こちらは何故?と思うような切り方。濃いめの血が流れて、血で手がべたべたして始めて気が付いた。輪ゴムといっても太めの四角いゴムの、角がちょうど肉に刺さった感じの切り方だった。

こんな風に体を怪我してしまったとき、体に申し訳ないことをしたなと思う。今回の場合は指先の皮膚組織や毛細血管など、傷つけてしまったそれらに対してごめんねと思ってしまう。

そしてもう一つ気になることは、二日続けて人差し指を切ったということだ。

普通、そんなことは気にならないことかも知れないが、切った指が人差し指というのが私にはとても気になる。特に指の中では親指と人差し指は気になる方だと思う。

頭に浮かんだことはただひとつ。

一昨日、人の悪口を言ったことだ。
退職した人が、グループLINE(まだ退出していない)でメッセージを入れて来たと思っていたら、なんと今度は医院を訪れた。
直接口には出さないが戻りたいことはありありで、スタッフの誰かから、
「あなたが居なくて大変だから、戻って来てほしい」
という言葉をかけて欲しい様子に思えてならなかった。

私は彼女が辞めると直接的に仕事量が増えるので、辞めることを止めたのだが、「死んでも嫌だ」と言って辞めて行った。その時の彼女を思うと、退職後のこの変わりように、つい彼女を批判するような言葉を吐いてしまったのだった。

辞めた彼女が戻ってくるかどうかは、採用する院長の気持ち一つだ。何事も「俺は経営者だ」を口癖にしている院長だから、彼女が泣き付けば情にほだされて再雇用も十分あり得るだろう。

再就職に苦慮していることをほのめかしながら、彼女が口にした言葉は
「ここは良い職場だよ…ほんと。」

二日続けて人差し指を切ってしまった私。
心を乱して人様のことをあれこれ云うなと、天から叱られた気がする。

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