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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

№133 支え


ヨウシュヤマゴボウ
2017.03.27(月) 

今日は関東山間部では雪の予報が出るほどの大荒れの天気の中、こちらも違った意味で大荒れの職場に出勤した私だった。

「何故そんなことできるのか?」

私には理解できないことが、あまりに多くて、疲れ果てるような毎日だ。だが、私自身、結局理解しようと思っているふりをして、相手を批判しているだけなのかも知れない。

「なんてひどい人だ」
と思いながら、心のどこかで、
「いや、だけどそんな酷い人間ではない。」
などと、思ってしまう自分がいたりする。

何度も嫌な思いをしているのに、それなのに優しくしてあげたくなるのは、一体どういうわけなのだろうと、自分自身が分からなくなる。

だけど、こんな私でも今、生きていられるのは、今の夫が居てくれるお蔭だ。

こんな風に書くと、ただののろけのように思われるかもしれない。だが本当はもっと深刻な問題なのだ。たぶん、私は夫がいてくれなかったら、自分一人では気分転換もできずに、ずっと悩み続けたり、苦しみ続けたりするタイプの人間だと思う。

全面的に私の弱い心を知っていて、黙って支えてくれている夫がいることが、私にとっての唯一の救いなのだ。

もちろん、夫にも短所もあるだろうし、私が甘えてばかりいて、重荷になるようではだめだとも思っている。こう思えることも、また、私には生きていくうえでプラスに働いている。
時には「しっかりしなくては」とか、「嫌われないように少しは良くなろう」とか、そんな程度だが、そう思えるような相手がいることは、自分で自分を励ますよりも、もっと力が出ることだと思う。

嫌なことがあっても、忘れられる場所があることは、本当の幸せかもしれない。

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№132 野鳥時計


ラッパズイセン
2017.03.26(日) 

鳥好きの私。夫がいい物を買ってくれた。
鳩時計ならぬ「野鳥時計」野鳥が時間を知らせてくれるのだ。

夜中は鳴らないように設定できるので、さっそく時刻合わせを兼ねて設定してみた。

長い針が12を指すごとに、いろいろな鳥の声が流れて可愛い。
カッコウ・ルリビタキ・ウグイス・メジロ・アカハラ・シジュウカラ
キビタキ・オオルリ・コマドリ・サンコウチョウ・ノジコ・ホオジロ

クルクル針を回していくと、次々、鳥の囀りが流れる。

12時のところはやっぱりカッコー。
日本では鳩時計と言われているが、流れる声はカッコーなのはよく知らせていることだ。

もともと鳩時計は日本向けの売り名で、ドイツではカッコー時計というそうだ。
カッコーは、日本ではさびれた様子をいう時の「閑古鳥が鳴く」という鳥のこどだ。
「閑古鳥時計」では売れるとは思えないし、平和の象徴とも言われた鳩の方が、馴染みが良いから「鳩時計」になったのだろう。

だが今回、野鳥時計を購入して分かったことがある。
それは、カッコーの声が一番耳に優しいということだった。聞き比べていて、とても驚いた。

他の野鳥たちの声は、鳥好きの私には嬉しいしが、断然カッコーよりは鋭い声に感じる。
優しい声というだけでなく、ドイツでは
「カッコーの声を聞いたら小銭入れをジャラジャラ鳴らすと金運があがる」
というらしい。幸運の鳥のようだ。

霧のかかった深い森の中で、鳴声が響いているような、そんなしっとりとした印象を与えるカッコーの鳴声。きっとドイツでは昔から親しまれてきたのだろう。

野鳥時計は、12種類の違う鳥なので、これから使っていけば、囀る声だけで鳥の種類が分かるようになりそうだ。
もしかしたら、お出かけ先で野鳥の声がしたら、
「あっ!3時だ」
とか、思うかもしれない。

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№131 相棒


ライラック
2017.03.25(土) 

嬉しい相棒たちが出来た気分だ。
オーブンとHB。それに新たに加わった製麺機だ。

少し前に買った「我が家の麺職人」は、可哀相だが箱に入っていただくことにした。
どうも茹でると麺がぶちぶち切れて、もはや饂飩と呼べる代物ではない。
粉と調味料(油と塩と水)を入れて、全自動で麺が出来るという夢のような製麺機なのだが、かなり残念な気分だ。

もう少し使い方の工夫がいるのかとネットで調べたところ、私と同じ感想を簡単にいくつも見つけてしまった。これも箱入り娘になった理由の一つだ。とても面白い家電なので、今後に期待したい。

というわけで、新たに手で回すシンプルな製麺機を購入した。

ケーキやお菓子作りにはHBとオーブン。そして、お饂飩の麺作りには、HBと製麺機が大活躍の我が家だ。これからもっと、いろいろな麺作りに挑戦してみたい。

オーブンも使い慣れてきて、とても気心が知れてきた感じがする。

ミシンなどもそうなのだが、しばらく使っていないと調子が出ない。続けて使っていると、とても上手に、動いてくれる気がする。私自身の技術がそんなに簡単に上がるわけではないので、下手な私のお手伝いをミシンが分かってやってくれている気がする。

オーブンも同じだ。
今のオーブンでは電子レンジ機能しか殆ど使っていなかった。なのに最近のマイブーム。かなりの頻度でオーブンを使うようになってみると、なんとお互いに信頼関係ができてきたようだ。

お菓子作りに必要な計量器やカップやボール、泡だて器などもよく働いてくれているが、オーブンと気心が知れてくると、本当に楽ちんでお菓子が作れることが分かった。

使い込んでいると、もっともっとお互いの絆が深まるのだろうなと思う。とても楽しみな気持ちだ。

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№130 時


ランタナ
2017.03.24(金) 

いつも日記を書く前に、
「今日はどんな一日だっただろうか」
「良いことはあったかな?嫌なことはあったかな?」
「充実していた?」
などなど、自分の心に残ったことや感じたことがどんなことだったか、振り返っている。

心がかき乱されるような辛い日も、心が躍るような嬉しい日も、どちらも波のように規則正しいような、不規則なような、なんとも不思議なタイミングでやってくる。

けれど、いつも思うことは、
「今というこの一瞬は、実は未来であり、現在であり、過去なのだ」
ということだ。

この一文字を打つ”今”の数秒後は、どんどん過去になっていき、未来へと進んでいる。

何気ない一瞬が、未来から今を紡ぎ出し、過去へと送っていくような、そんなイメージだ。

今をどんどん生きて、未来へとどんどん進んでいくけれど、たった数分後のことは、誰にも分からない。数秒後はたぶん予測できるような気がしていても、実はどんなことが起こるのか分かってはいない。同じ時間は二度とやってこない。確実に、明日、いや、この数分後はさっきとはもう違っているのだ。

そんな一瞬をひたすら重ねるようにして、私たちは毎日生きている。

こんなドキドキ感は、他には無いかもしれない。それが「生きる」ということなのだろう。当たり前のことかもしれないが、命がけでドキドキ感と戦いながら、一瞬一瞬を「自分がどうしたいか」選択し続けて、どんどんやってくる今を、そしてまた今、そして次の今…を生きているように思えてくる。

生きているということ自体が、とても面白くて不思議なことだなと、時を感じながら思った夜だった。

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№129 クックパッド


ラッキークローバー
2017.03.23(木) 

最近のマイブームのお助けアプリだ。
以前から使ってはいたが、今は半端ない程の頻度でこのアプリを開いていると思う。

もちろん、ケーキやパンの簡単な作り方は、今のところクックパッドからばかりだ。
その他にも、冷蔵庫にある食材で、鮮度とか使用期限とかの為に、どうしても使ってしまいたい物などがある場合、自分ではいつも通りの料理しか思いつかないときに、ものすごく便利さを発揮してくれる。

レシピをUPしている人たちは、皆、まめで凄いなと感心するだけでなく、分かり易いレシピを掲載されていることに、いつもながら感謝の気持ちになる。

ところで、そんなクックパッドにもブログがあることが分かった。

私の場合は、レシピを公開するなどという気の利いたことはできないので、せっかくあるブログだから、クックパッドを見て作ったものはUPしてみようと思い立った。

またまたブログを開設してしまったわけだが、もうこうなりゃいくつでも同じようなものだ。

全てをまとめて、華凛のHPが作れたらいいのにな…などと、ふと思ってみたりもするが、何せ、飽きっぽく”管理”というものが出来ないことは自身の知るところだ。

「まぁとりあえず、クックパッドで遊んでおきましょうか。」
と、心の中で呟いた。

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№128 やり切る


ラッパズイセン
2017.03.22(水) 

水曜日はフル出勤なので、9時間勤務の日だ。

休憩時間は基本1時間取れるが、今の職場はスタッフルームもないので、デスクでお弁当を食べ、いつもなら外へ出て気分転換をする。だが今日はぼんやりとデスクに座っていた。
私のデスクのPCは、レセコンに繋いでいるので、ネットには繋げられないこともあり、スマホを見ることぐらいしかやることがない。

ちょうど今の時期は一番忙しいこともあり、アドレナリンが出ているのか、疲れも感じず仕事をしたくなってしまった。

我ながら、仕事好きというか、熱中するとやりたくなってしまうのは、何事に対しても当てはまるようだ。

何とも理不尽な嫌がらせみたいに仕事がふられてしまい、とても大変な一日だったのだが、悪い気分ではない。
それというのも、やり切ったという爽快感があるからだ。

これは性分なのかなと思う。

仕事が無くてぼーっとしているよりも、忙しくててんてこ舞いな方が、よほど気分がいい。まったく貧乏性な性格だなと思う。

退職してしまったスタッフの人が、やることが無くて雑誌を読んだりしていた。私が今の職場に就職したての頃には、その人から
「そんなに仕事しなくていいのよ」
などと、のんびりしていい職場なのだと教えられたりもした。

だが、雑誌なんて読んでいたら、さぼっていることへの罪悪感から、ドキドキして読むことさえできない。今でも仕事中にスマホを見ることも、結構罪悪感がある。

そんな私なので、半端ない仕事量をすべて片付けたということが、ものすごい達成感を生むようだ。

今日は仕事をやり切った感に包まれて、気分よく帰宅したのだった。

        (2017.03.23 記)

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№127 来訪


シロツメグサ
2017.03.21(火) 

今日は突然、長男が家に立ち寄った。と言っていいくらいの短時間の滞在だった。
近所まで用事できたらしく、お昼過ぎにLINEで夕飯をお願いしたいとの連絡があった。

息子といっても、もういい大人なのだが、やはり実家である我が家に立ち寄ってくれることは嬉しいものだ。

夫の両親が生きていたころに遊びに行くと、夫の好物がわざわざ準備してあったりと、本当に何歳になっても、母というものは息子が可愛いものだのだと思ってみていたことを思い出す。

だが今、自分がそんな年齢になり、我が夫様と比べれば、まだまだひよっこの私の息子たちを見ていると、あの年齢になってもなお息子が可愛いと思う義母の気持ちが良く分かるようになった。

特に一緒に住んでいない長男は、滅多に来ないということもあって、急に立ち寄るということであっても、決して嫌な気持ちにはならないものだ。

来訪の時間が、ちょうど夕飯が終わってのんびりテレビを観る時間だったので、夫は一人ぼっちになってしまい、申し訳ないことをしてしまった。

再婚してからは、体が二つあればと何度も思ったものだが、このような子どものそばにいてやりたい時間と、夫のそばにいたい時間が重なると、本当に体が二つ欲しい気持ちになる。

長男は、そんなことをよくわかっているので、夕食を食べながら少し話をしたら、すぐさま引き上げると言って帰っていった。

ほんのひと時の時間だったが、次男もちょうどいたので、兄弟でなにやら話も少ししていたようだ。

二人の息子たちが、それぞれの道をしっかり歩んでくれることが、一番の願いかもしれない。

      (2017.03.22 記)

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№126 春分の日


ワルナスビ
2017.03.20(月) 

今日はとても良いお天気だった。
朝からお洗濯ものをしつつ、キッチンで遊んでいた。

今日作ったものは、まずはクリームパン。
前回、クリームが溢れてしまったので、そのリベンジ。

それから、お饂飩の麺。
こちらは新しく購入した、製麺機の初使いをしてみようというものだった。

その合間に、炊飯器でチョコレートケーキを焼いた。
これは、次男の彼女が遊びに来ていたので、彼女からのリクエスト。
炊飯器で作ったことが無いというので、彼女が中心になってやってくれた。

そして、昨夜作っておいた生チョコをカットして、ココアパウダーをまぶし、10時のコーヒータイムを楽しんだ。

毎朝、夫が入れてくれるコーヒーがとても美味しい。お休みの日はもう一杯コーヒーのおかわりを作ってもらう。これもお休みの日らしくて、とてものんびりする。

お昼にはクリームパンも焼き上がり、お饂飩の麺もできた。残念ながら、製麺機は上手く使えなくて、包丁で切ったが、だんだん慣れてきて、なかなかいいお饂飩に仕上がった。

次男の彼女が早めに帰宅するとのことで、夕飯の準備に取り掛かったのは、彼女の手土産のお菓子をお三時にいただいた後だ。

お蔭で、大相撲をゆっくり見ながら私たち夫婦も早めに夕食を取ることが出来た。

有り難いことだなと思う。
美味しい食事。そして、テレビでは昼間は甲子園。夕方は大相撲。コーヒーと甘いお菓子やパン。

そして夜には安心して眠れるふかふかのベッド。

夫も私もあちこち痛いところがあったり、物忘れもちょっと気になったりの日々だが、今日もつつがなく一日がおくれたことに、しみじみと感謝の思いがわいてくるのだった。

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№125 お墓参り

 
ワイルドストロベリー
2017.03.19(日) 

お彼岸なので、お墓参りに行ってきた。

我が家のお墓は自転車で約10分のところにある。お天気は良かったが、ものすごい強風で自転車を漕ぐのも一苦労だった。

霊園に近づいてくると、お線香の香りが風にのって漂っていた。それほど、多くの人がお彼岸でお参りに訪れていたのだった。霊園に入って見渡すと、どこも新しいお花が供えられ、スッキリ綺麗な雰囲気になっていた。

私たちも慣れた手順でお墓の掃除をし、お花を供え、義父の好きだったコーラと義母の好きだったぼたもちをお供えした。

今、ここにお供えした物の名前が、「ぼたもち」だったか、「あんころもち」だったか、「おはぎ」と呼ぶものだったのか、分からなくなってしまった。

というのも自分が関西出身なので、一般的な言い方なのか、まったくの土地柄丸出しのことなのか、時々分からなくなるからだ。

確か、春は「ぼたもち」、秋は「おはぎ」だったような気がするが、「あんころもち」とも言っていた気がして、少し調べてみた。

やはり、春のお彼岸の頃は、牡丹の花に似ていることから「牡丹餅(ぼたもち)」といい、
秋のお彼岸の頃には、萩の花が咲くので、「御萩(おはぎ)」というようだ。

また、小豆の収穫は秋なので、皮まで柔らかいことから、おはぎは「つぶあん」、春は「こしあん」を使ったそうだ。

だが、最近ではそれらが逆転したり、季節によってはっきりと使い分けられてはいないようだ。

私が小さい頃は、よく家で「ぼたもち」を作った。あんこは半分すりつぶしたようなこしあんぽかった気がする。家で作るから、皮ももったいなくて、たぶんすりつぶして使っていたのだろうと思う。

手のひらをべたべたにさせながら、手作りの甘いあんこをくっつけて、ぼたもちを作るのはとても楽しかった。全部お手伝いが終わると、行儀が悪いと言われながら、手についたあんを舐めて食べたものだ。

だが、季節がいつだったのか、さっぱり思い出せない。ただ、ぼたもちは、かなり大きくて、おはぎは小さめだった気がするし、おはぎを作ったときは、外側がきな粉で、中にあんが入っているものも、作ったような記憶がある。

そんなことを考えていると、そういえば、亡くなった私の母は、季節ごとにいろんなものを作ってくれていたのだなと思い出して懐かしい気持ちになった。

お雛様のときには、必ずちらし寿司を作ってくれていたし、お祭りの季節には、必ず鯖寿司を作ってくれていた。

そういえば、あんころもちはお餅搗きをしたときに、搗きたてのお餅を餡で包んだものだったと、書いていて思い出した。

これですっきりした気分だ。

今日、お供えしたものは、大きさもちょっと大きめのこしあんの「あんころもち」だった。
お義母さんも喜んでくれているかなと思いつつ、お墓参りに無事行くことができて、こちらもスッキリした気分だ。

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№124 マイブーム


ワイルドストロベリー
2017.03.18(土) 

最近、本当によくお菓子を作っている。

それだけではなく、ちょっとしたお料理も、クックパッドで調べては、新しいことに挑戦している。同じ食材を使うにしても、何か新しい工夫をしてみようという気力が半端なく沸き起こってくる。

特に、お菓子だけでなく、麺作りや餃子の皮といった風に、今までどうも手が出なかった「粉物」を扱えるようになったのが、嬉しくて仕方ないのだ。

マイブームとしか言いようがないが、異常なくらいに時間さえあれば、すぐにお菓子かパンを作りたくなる。

ついこの間までは、やたらカロリーに興味があって、とりつかれたようにあすけんというアプリで毎食毎食、食べたものを記入していた。一日の総カロリーを計算し、お買い物するときも、カロリーを気にして、毎日の体重と歩数の管理に勤しんでいたのだ。
なのにそちらはすっかり止めてしまって、真逆のお菓子やパン作りにはまっているのだから、これはもはや、その時のリバウンドのような気すらしてくる。

本当は、このお料理ブームが来るまでは、毎日お料理するのが面倒だなと感じるようになってきていた。そうなると、本当に工夫がなくなり、同じような物ばかり作っているなと、自分でもやる気がでないことが気になっていた。

何とか、カロリーを計算していた頃の知恵も生かして、しかもお料理の楽しさをこのまま維持する方向に進みたいものだ。

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