公演終了後の送り出し風景
№4 2018.08.17(金)
今日は物凄い強風が吹き荒れ、自宅に居ても窓ガラスが割れるのではないかと思われる程で、恐ろしい気持ちになる。だが反面、そのお蔭で気温が下がり、空を見ると青空も広がり爽やかな日になりそうだ。
ここのところの鈴丸さんに上げていた熱だが、夫がお風呂の脱衣所で意識を失って倒れてしまうという事件があったことで、憑き物が落ちたような気分だ。だからといって、鈴丸さんのことに興味が無くなったわけではない。ツイッターでフォローした様々な熱狂的ファンの方のツイートを見ると、ウットリもするし、また生で観てみたいとも思う。
だが、気持ちの冷めた一番の原因は、熱狂的ファンの方たちとの繋がりだ。
繋がりといっても、たった一回、ほんの数名の方にお会いしただけのことなのだが、やっぱり私はそういうお付き合いは苦手なのだと実感した。
別にその時だけのことであれば、普通に会話も出来るし、楽しい気分にもなる。だが。ツイッターでつながっているということが、どうも私の神経を圧迫している気がする。
そもそも、ツイッターだけでなく、インスタやFBなどのSNSでのコメントのやり取りが私は苦手だ。気を使い過ぎてしまうというか、その人だけに向けた言葉が、投稿したことで、空中に浮きあがって、世界中の人たちの目に触れる感じがしてしまうのだ。
世界中なんて大げさなことなのだが、それでも、呟いた言葉は、誰でもが見ることができてしまうことが、私にとってはとても怖いことであることに違いないは無い。
そのくせ、とても感動したりすると、怖さも忘れて投稿してしまうという矛盾ぶりだ。
呟いてみたい。他の人に自分の感動を伝えたい。そういう気持ちがあるくせに、人がどんなふうに感じるか、人からどんな風に思われるのかがとても怖い。
「そんなこと気にするならやらなければいいし、やりたいなら、何を言われたって平気くらいでいればいい。」
自分でもそう思うのだが、それがどっちつかずでこの20年近くネット生活を送っている。
ひと昔前ならネットで知り合った人とリアルで会うなどということは考えられなかった。しかし今は逆にネットで知り合った何かしら共通性のある人と更にリアルで出会うことが普通に行われている。
まさに先日の鈴丸さんのファンの方とリアルで出会ったことがそれだ。
よく考えてみれば、相手の人となりも知らず、ただ鈴丸さんのファンだということくらいしか知らない人と、リアルで出会ったりするのは初めてのことだ。それですごく疲れてしまったんだなと、ここに書いていて思い当たった。