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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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仕事納め


ガーデンシクラメン
2016.12.28(水) 
駅に向かえば、子どもたちの姿があちこちに見えて、冬休みが始まったことが分かる。クリスマスが終われば、街はいよいよ年末へと一気に向かっていく。

今日は年内最後の診療日とあって、患者さんも少し多めだった。受付業務をしながら、殆ど一日中パソコンで入力の仕事をしていた。

仕事納めといっても、実は仕事の内容から、今が一番忙しい時期だ。なのでかなり中途半端な気分で帰宅してきた。明日から休む代わりに、年始に一日早く出勤することにしたのだが、未入力のカルテが待っていると思うと、何となく落ち着かない。

だが明日から大切な3日間を、上手に使えるように、頭を切り替えなくてはと思っている。

お正月の準備は楽しいものだ。お買い物へいっても、冬ごもりするかのように、お正月用に様々なものを買い占めている。
明日は食材の最終確認と、玄関とトイレ、そしてキッチンの大掃除。
明後日からは下茹でなどしながら、お節の準備。玄関にお花を生けるのが、毎年遅くなってしまうので、今年は絶対31日の朝には済ませようと思っている。

美味しく炊けて、皆に喜んでもらえたら嬉しいのだが、さて、どうだろうか。

もう、習える母たちは二人とも天国だから、自分の舌に頼るしかない。それも少し寂しいことだが、食いしん坊の私のことだから、きっと今年も大丈夫。そう自分に言い聞かせて気合を入れた。

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干し柿


山茶花
2016.12.27(火) 
旅先で観光地をまわるのも、もちろん楽しいことだが、地元の人たちの生活が感じられる普通の商店街や住宅の中にある小さなお店などへ入るのも面白い。

少しばかり田舎に行くと、ちょっとした物なら何でも揃いそうなお店は、懐かしさが漂うような雰囲気だ。

そんな店先で、干し柿を見つけた。小ぶりの干し柿が6個入って350円。少し白く粉がふいたようになっているし、色も黒くなっている物もある。スーパーで売っている、美しい干し柿とは違うけれど、美味しそうでたまらず手を伸ばした。

甘くてとろけるようだ。まるでスイーツ。自然がくれたお菓子だ。
干し柿を食べるといつも思う。そのままじゃ食べられない渋柿が、こんなに美味しい食べ物になることを発見した最初の人って、本当に凄いなと。

人の手と自然が作ってくれた昔ながらのお菓子。素朴な干し柿を見ていると、心がほっこりするようだった。

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書きたい気持ち

 
クンシラン
2016.12.26(月) 
面白い物で、ここで自由に日記を書くようになって、いろいろなことをさらにやりたいという意欲がわいてきているのが分かる。

もともと華凛の夢というブログで、日記や短歌など書くようになり、一昨年くらいからは、だんだん旅行の記事が中心になってきていた。もちろんお休みの月もあったりと、気ままな更新だったが、気が付けば10年もブログを続けることが出来たのは嬉しいことだ。

旅行記を書くようになったのは、旅の思い出をしっかり書き留めて残したいという気持ちはもちろんだったが、実は書き出すきっかけになった理由がもう一つある。

それは夫が立ててくれている旅行の計画が、とても綿密で素晴らしいからだ。

もしこの夫の旅の計画が無ければ、私はもっとぼんやりとしか旅の思い出を書くことが出来なかっただろう。もちろんそれはそれなりに、私らしいものだと思うし、また違った感じになるんだろうとは思う。だが書くことで、再び旅を楽しむことができるのは、夫の旅の行程があるお蔭だ。

旅の出発時刻から、移動に使う交通機関。例えば、列車なら何線だとか駅名なども、細かく調べつくしてあるので、プランを見ているだけでも楽しいほどだ。これが実際に旅に出て実体験しているのだから、あの時はこうだったとか、あそこではこんなだったと鮮明に思いだされる。

そして極め付けが二人で撮った沢山の写真だ。これらが私の財産となって、旅した土地を鮮明に思い出させてくれるのだ。
早くこれらの旅の記事を書きたいという気持ちと、本サイトでもある「花図鑑」で、全ての花に、夫と二人の短歌を並べて入れたいという気持ち。そしてこちらも途中で止まってしまっている「華凛の花言葉」のほうも、またやりたいという気持ちが、とても強くなってきていることが嬉しくてたまらない。

自由にこうして書くことは、私にとってはとても必要なことだったのかなと、今頃になって気づいたような気がする。

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お餅つき


セイヨウクモマグサ
2016.12.25(日) 

今年も恒例のお餅つきがあった。今住んでいるところの自治会主催のものだが、ちゃんとした臼と杵で搗くのでとても美味しい。

いつも雑煮と、白いままのお餅、そしてきな粉餅と餡餅の4種類が売られる。ちょうどお昼前に販売開始だったので、小さめのお鍋を持って、買いに行った。

ほうれん草や鶏肉、人参・大根・竹輪などが沢山入っていて、お醤油味のお汁だ。お餅はもちろん柔らかくてフワフワだった。

最近はお昼ご飯は食べていないのだが、今日は特別にお雑煮のランチとなった。

以前、この自治会の当番の時に、お餅つきのお手伝いに参加したことがある。毎年、京都に居た頃は、お餅つきをしていたので、搗きたてのお餅の扱いが半端なく上手いらしい。

周りのお年寄りたちからお墨付きをいただき、お餅を切る役をやったり、自治会用の鏡餅の丸め役を仰せつかったりした。

結局、お餅つきに参加した人たちには、無料でお餅がいただけるので、すごく得した気分だったのを思い出す。

あちこち、飛び跳ねたお餅が着いて、前掛けはひどい有様だったが、老いも若きも一緒にお餅を丸める作業は楽しいものだ。

それにしても、かなりお年を召した方たちの行動力がすごい。むしろ腰痛に苦しんでいる私などよりも体力がおありのようで、驚くばかりだ。

今の自治会はそういった高齢の方たちで支えられている。有り難いことだと思うが、ちょうど中途半端な年齢の私は、若くも無く年寄りでも無く、なかなか居ずらい場所でもある。

近所付き合いはどこでも気を遣うものだと思うが、京都に居た頃よりも今の方が気楽に感じるのは、細かいしきたりを気にしなくて良いからかもしれない。

例えば京都でのお餅つきは、29日に毎年行っていた。これは9、すなわち”苦”をつき切って、新年を迎えるということだった。一般的には29日や、26日(ろくなことがない)は避けてお餅つきをするものだが、京都の嫁ぎ先ではあえて29日につくのが習わしだった。
季節の様々な行事を古式ゆかしくとまではいかなくても、少し気にかけて取り入れるような生活が当たり前だったことは、こうして離れてみると、今はとてもよかったと思える。

懐かしい気持ちで京都のことを思い出すのは、それだけ年をとったからかも知れない。

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イブの夜



2016.12.24(土)

小さい頃からクリスマスイブの夜は、あのよく売っているチキンの足だった。
生クリームのケーキからチョコレートのケーキに代わり、一番我が家で流行りだったのは、アイスクリームのクリスマスケーキだった。

どうしてケーキを食べるようになったのかよくわからないが、貧しいながらも当時の日本の流行りのままに育った気がする。

なので、どうしてだか未だにクリスマスになると、やっぱりチキンが食べたくなる。子どもたちが大きくなってしまって、さすがにケーキは買わなくなった。何となくだが、夫と私の分の2個だけショートケーキを買う気がしない。どうしてもクリスマスケーキはホールに拘っているのかもしれない。
そこで今年は、コンビニで売っているカップに入ったプリンアラモードにしてみた。これなら小さいながらも”丸”である。

ローソクを灯すことも、音楽をかけることも無いが、チキンとサラダ、そして野菜たっぷりのポトフ。それに何故だか、少しばかりのお刺身。それらの物を食べた後、プリンアラモードを二人で食べた。かなり満足した気分になった。

子どもたちが居ないと、クリスマスといっても料理に気合が入らない。

「美味しい物をたくさん食べさせてあげたい」
と、子どもたちに対して思うのは本能なのだろうか。

かといって夫のことを気にかけてないわけではない。
だが、夫の為となると、美味しい物というより、低カロリーで栄養のバランスの良い物に気持ちが行ってしまって、何だかもうそこには、ただひたすら美味しい物を沢山という気持ちではなくなってしまう。

おかしなものだ。

今は亡き義父と義母が住んでいた家へ夫と遊びに行くと、老齢の義母が、夫の好きなものを食べさせてあげようと準備して待ってくれていたことを思い出す。

母親とは、どんなに自分が年老いても、どんなに子どもが成人しても、たとえ子どもが年を重ねていい大人になっていても、
「食べさせてやりたい」
という気持ちは消えないものなのだと、懐かしいような気持ちで義母の事を思い出した。

私も義母の気持ちがもっともっとこれから分かるようになるんだと思いながら。

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下田の朝



2016.12.23(金)

下田の朝です。
真っ青な空が気持ち良いですが、風が吹き荒れているようで、下田港の景色を眺めながら、のんびりしています。

日の出の頃に朝風呂へ行ってきました。

外に出た瞬間、冬の朝の寒さが襲ってきましたが、露天風呂のお湯の中逃げ込むと、蕩けるような心地よさに包まれました。

冬の朝 二度寝の布団 露天風呂

お湯に浸かりながら思いついた俳句もどきです。
気分も今朝の空のように、晴れ晴れしています。ここのところの疲れが取れました。

明日、明後日は、頑張って大掃除をしたいですが、今はまだ何も考えないで、頭を空っぽにして、下田の旅を楽しみますね。

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下田



2016.12.22(木)

今朝早くに家を出発し、久しぶりの一泊の旅にでている。
場所は下田。
去年は伊東でクリスマスを過ごしたが、今年は下田まで足を伸ばした。

河津桜を見るために、河津までは何度か行っているが、なかなか下田までは行くことが出来なかった。

海を眺めながら、潮止まりに浮かぶ漁船やヨットをカメラに収め、ペリーロードの古い街並みを見上げたりして楽しんだ。

今日はなんと、歩数計が一万歩超えていてびっくりした。

旅先の景色は、気分転換には最高だ。
年々足腰が弱ってきて、体力不足の2人だが、まだまだ日本各地を旅したいものだ。

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サンタさん


ホオジロ
2016.12.21(水) 
もうすぐクリスマスだ。

子どもたちが寝静まるのを待って、そっと枕元にプレゼントを置いた、あの頃が懐かしい。
もう今ではサンタになることも、サンタが来ることも無くなってしまった。そう思うと、子どもたちの小さかったあの数年間は、大人の私も夢見るような気分を味わえた、素敵な時間だったと思う。

サンタさんからのプレゼントというと、私は自分の幼いころのことを思い出す。

私がまだ4~5歳のころのことだ。
母がピンクのフワフワした毛糸(確かモヘアと言った。)をかぎ針を使って、花びらのような形をいくつも編んでいた。何を作っているのかは小さなピースが何枚もあるだけで、その時には分からなかった。

だがクリスマスの朝に目覚めて枕元を見ると、確かに母が編んでいたあのピンクの花弁が、なんとカーディガンになっていた。

ものすごくショックだった。
ものすごくがっかりした。

サンタさんが母の編んだ花びらをカーディガンにしてくれたなんて、まったく思わなかった。だって、どんどんカーディガンになっていく姿を毎日みていたから。

普通におもちゃ屋さんで売っているおもちゃの方がよほど嬉しかった気がする。
あの朝、サンタさんなんていないと、私は思った。

母はどんな思いであのカーディガンをプレゼントにしたのだろう。まさか喜ぶと思ったのだろうか。それとも、おもちゃを買うお金がなかったのだろうか。編み物や刺繍が好きだった母なので、作ることが楽しかったのだろか。

亡くなってしまった今となってはもう聞きようも無い。
幼いころから、私と母はずっとすれ違ったままだった気がする。

自分の息子たちはどんな風にクリスマスを思い出すのだろう。サンタさんを夢見ることも、信じることも無かった自分の幼い日の思い出とは、どうか違っていて欲しい。

「信じている人のところには、サンタさんは来るのよ」
と、言い続けてきた私だった。

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頑張りすぎ


シジュウカラ
2016.12.20(火) 
毎月20日が〆日だが、今月は特に忙しかった為、勤務表をみるとゾッとするような出勤率だ。

仕事をするのは嫌いではない。
もちろんお金がもらえるから働いているのだが、今の仕事は希望していた内容なので、遣り甲斐も感じている。

歯科の仕事自体がずっと好きだったことと、パソコンを使った仕事がしたいという両方の願いが叶えられているからだ。

だがどうも私は何でも安請け合いし過ぎるきらいがある。
出来ないということがなかなか言えない。
むしろそのことによって自分が大変になっても、
「手伝えればいいな」
と思ってしまう。

バカなのだろうか。

相手は自分が楽になっても、あっという間にそれは”当たり前”の事になって、それまで自分が請け負っていた大変さが、私に移行したことなんて認識も無く、すっかり忘れてしまう。どんなことも「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なのだ。
そして私の方はといえば、どんどん仕事が増え、ついに耐え切れなくなって辞めたくなってしまう。

逃げ出したくなるほど、頑張るのはダメだと、過去の経験から分かっているのに、また今回の職場でも、ひたすら頑張ってしまう自分がいる。

どうも熱中するのが好きなようだ。

だが体だけでなく神経が壊れてしまっては元も子もない。

私が今の職場で体を壊しても、職場の人間は誰一人私に責任を取ってはくれないのだ。むしろ、体を壊して休めば、同情されることはあっても、使えない人間として忘れられていくだけだ。

夫は仕事をし過ぎることに、とても心配している。もっと早く帰ってこられるように。最初の条件をちゃんと守ってもらえるようにと、私のことを心底心配してくれている。

それは当然のことだ。私が体を壊しても、職場は面倒見てくれないが、夫は私の面倒を見なくてはならなくなるのだから。どちらが私の事を本当に考えてくれているかはおのずと分かる。

私は今の職場でもう十分役に立っているはずだ。これ以上を求められても、壊れるのが目に見えている気がする。

来年はいかに適度に働くか、自分の家庭と自分の体を一番に考えようと思う。結局、それがうまくできなければ、続けられない職場ということが分かった。

まずは最初の雇用条件をしっかり守って働こうと思う。

2月末から入社して、どんどん勤務率が上がり、夫にはずいぶん我慢をさせてしまった。老い先短い二人なのだ。楽しく暮らすために一緒になったことを、今一度思い返し、夫を犠牲にしてまでは働かないようにしようと決心した。

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大掃除

 
シマアオジ
2016.12.19(月) 
そろそろ大掃除のことを考えなくてはならない時期になった。

いつも年末になると、もう少し気候のいい時にやっておけば良かったと後悔する。だが、この季節にやるから、気持ちよく新年が迎えられるのであって、仕方ないのだと思いつつ、面倒な気持ちが勝ってなかなか始められない。

そうこうしているうちに、
「まっいいか…」
となってしまうのが見え見えだ。

そして汚れは積もり積もって、年寄りの家の汚さになってゆく。

その上、もともと近視の強い私の眼も、年相応に近くまで見えにくくなってきた。
都合が良いことに、汚くなっていても、よほどでない限り気にならない。

体がどうのこうのというよりも、全てにおいて、
「まっいいか…」
となってしまっている。

そうは言っても、息子たちだけでなく、その彼女たちもお正月にはやってくる。

「何とかしなければ…」

やっとのことで、
「まっいいか…」
という気持ちを阻止してくれることが見つかった。まだほんの少しだが、訪ねてくる彼女たちに、”見栄”を張りたい気持ちが残っているようだ。

「頑張らねば」

密かに呟いた。

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