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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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体温


ウメ
2017.01.15(日)

朝方、かなりの冷え込みだったようだ。ここら辺りでは珍しい程の、たぶん氷点下だったのだろう。

休日なのでゆっくり休んでいたが、目が覚めた頃からくしゃみの連続。先日からの風邪で、腰痛が悪化していることもあり、腰をかばってくしゃみをするのも一苦労だ。
なのにあろうことか、本気で4連続、5連続級のくしゃみが出て、腰は痛いし眼は辛いし…。
実は眼が辛いというのも、何故だか左目からだけ涙が溢れるのだ。その上、左の鼻からは、たらぁーっと鼻水が出て止まらない。

花粉の季節にも、左の鼻の穴だけムズムズして、鼻水が出るという経験はあるのだが、こんな風に、涙と鼻水攻めにあったのは初めての経験だ。

止まらないくしゃみと戦いながら起きだすと、寒い。異常に寒気がする。冬でも暑がりの私にはあり得ないことだ。
ちょっと心配になって、もしかして、熱が出だしたかと、体温を測ってみた。

ところが、体温はなんと「34.7度」
低い。低すぎる。滅多にこんな数字は拝めない。というか、これ…、自分的にはかなりの驚愕。怖い。これって熱が出る前の、ジャンプするときギュッと膝を曲げる状態と同じなんじゃないか。
いや、もう一回測ってみよう。案外、ちゃんと脇の下に挟まってなかったのかも。

そう思って、もう一度測りなおしてみた。
「35.1度」
おぉー。やはり低い。だが、35度台は見たことあるぞ。
夫様はいつもこのくらいの体温だ。だから大丈夫だ。
などと、根拠のない安心感にほっとした。

だが、寒い。何枚も重ね着して、電気毛布を膝に掛け、やっと少し落ち着いてきた。再度体温を測ると「36.2度」とやっと血が通いだした感じ。
「体温低い人って、こんなに寒い思いしてるんだね。」
と、やっと呟く余裕が出た私だった。

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ダイダイ
2017.01.14(土) 

今日は土曜日だが、少し仕事を片付けようと出勤した。

お昼前になって、突然物凄い雪だ。
天気予報では、関東はそれほど降るようなことは言っていなかったが、かなり強く降っている雪を見て、院長が店じまいを宣言した。私も早く帰るように言われ、その勢いに押されて帰り支度をしてしまった。

パソコンも落として、診療室のユニットなどの電源も落として、しっかり帰る準備が整って、表に出たら…なんと青空。

がっくり来てしまった。
せっかく早起きして出勤したのに、もっと仕事がしたいー!

よほど回れ右をして引き返そうかとも思ったが、せっかく戸締りした鍵を開けて、またパソコンを立ち上げて…と、想像すると、気合を入れなおして仕事をするのは、かなりの労力がいりそうだ。

どうしたものかと、しばらく玄関先で空を眺めて立ち往生してしまった。
心は何度も揺れたけれど、結局呟いたのはいつものセリフだった。

「まぁいいか…。」

頬を切るような冷たい風を受けながら、澄んだ青空が雲間から見えて心地よい中を帰路に着いたのだった。

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慕情


タイサンボク
2017.01.13(金) 
サザンの”慕情”がとても好きだ。
ものすごく久しぶりに聴きたくなったのは、昨夜、兄と電話で話したからかも知れない。

不思議なものだなと思う。

この世に生まれてきたことも、この世があることも不思議だが、何故だか兄と呼ぶことになった関係。もちろんそれ以前に、父と母の存在があるのだが、なかなか血縁関係というのは、言葉にはしにくいものだ。

血の繋がりは、時にはまるで目には見えない鎖のように感じることもある。重かったり面倒だったりもするが、良きにつけ悪しきにつけ切っても切れないと思わせる不思議な力があったりもする。そのくせあるようで無いような、時にはその存在が感じられないほど透明感がありながら、存在を知らしめる強さがあったりもする。

人によって、身近に感じながら生きる人もいるだろうし、感じられないまま生きていく人、感じたくなくて遠ざけて生きる人もいるだろう。

幼い頃から兄と私はとても仲が良かった。
私は両親からの愛情を感じることが出来ない代わりに、兄を慕うようになった気がする。

「尊敬する人は?っていう質問に、わたしいつも、『兄』って書いてたんやで。」
「嘘つけー。」
笑って否定した兄。

お互いの子どもたちの成長を話しながら、お互いに年をとったと笑い合った。

どうにもならないことも、生きていればいろいろ出てくるものだが、そんなことも含めて、それでいいんだと思わせてくれたのは、夫の他にもう1人、兄がいたことを思い出した夜だった。

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腰痛


コオニユリ
2017.01.12(木)

 
またやってしまった感のある腰痛だ。

毎日、呼吸法と腹筋、そしてストレッチを積み重ね、何とか日常生活が気楽に動ける程度に回復していたというのに、この数日前の風邪ひきから、突然痛みがぶり返してしまった。

昔から風邪をひくとものすごく酷い咳をするのが常の私だが、年を重ねてもそれは同じで、自分としては慣れているし、むしろ肺のお掃除のような感じで、咳が出てもしばらくの辛抱くらいにしか思っていない。

だが今回ばかりは、どうも、その強い咳が原因の腰痛のような気がする。

極めつけは、死んだように眠っていて目覚めた時だ。腰に激痛が走り、立ち上がることもままならい程だった。

風邪もだいぶましになってきた。腰痛も最悪の状態は脱出した感じだが、今日からまたコツコツと呼吸法と腹筋をやり始めた。無理せず、毎日の積み重ねが大切なのは身に染みているはずなのに、本当に、喉元過ぎればなんとやらの私だ。

今度こそ、一生死ぬまで続けるつもりで、毎日の呼吸法に取り組もうと心に誓った。

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デンファレ
2019.01.11(水)

最近、よく夢を見る。
と、言っても内容はほとんど覚えていない。

ただ、登場人物が、とても懐かしい人であることが多いので、不思議な気分になるのだ。

亡くなった私の母などは、めったに出てこないのに、ここのところ続けて夢に出てきた。
昨日などは、私が独身の頃の友人で、もう20年以上連絡も取っていない人が夢に現れて驚いた。あぁ、そういう友達もいたなと思いだしたほど、懐かしい人だった。

遠い昔の一時期、見た夢を書き留めていた事がある。

初めて出かける場所に行ってみたら、夢で見た場所だったということも、割とよくあった。

実は書き留めるようになったきっかけは、あまりにそういうことが多いので、先に夢で見ていたことが分かる様に書いておこうと思ったからだった。

夢には何かメッセージがある様に、昔は思っていたが、今はよくわからない。
何か夢自体に霞がかかっているようで、こちらの世界に持って帰ってこれない様な感じだ。昔のようには、強烈な印象が無いからかもしれない。

夢と現実には何も関係が無いのかも知れないが、不思議なことも世の中には時々起こるから、今夜の夢もちょっと覚えておきたいと思う。

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今年も今年の目標


テロペア
2017.01.10(火)

毎年のことですが、今年も今年の目標を立ててみようと思います。
過去のブログを読み返してみても、毎年同じような目標で笑ってしまいますが、まぁ、それも私らしいところです。

去年から続けていることで、今年も続けたいことは、
 1.ここで日記を続ける。
 2.あすけんで食事と体重の記録をつける。
 3.家計簿Zaimで、自分のお金の管理をする。

これら3つは、去年、みんチャレというiPhoneのアプリで習慣が着いたので、一年間続けてみたいと、現在も挑戦中です。ただし、あすけんの食事内容は、年末年始はお休みしていたので、やっとこの2日前くらいから、再記入し始めました。
体重はずっと記入していて、お正月もなんとか少ない貯金(減量した分)も吐き出さずに済みました。これは私にとっては、ものすごくうまくお正月を乗り切った感があります。

さて、今年の目標ですが、こちらはざっくりと、こんな感じです。

「やりたいことをやる!」
「やりたくないことはやらない!」

とても簡単そうなのですが、これがなかなか出来ません。

今年はあれこれ考えず、なるべくシンプルに考えて行動しようと思います。

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誕生日には


デージー
2017.01.09(月) 

お正月が終わって一息つくと、次男の誕生日。そして月が替わると夫の誕生日が来る。

子どもたちが小さかった頃は、クリスマス前に長男の誕生日があり、そして迎えるクリスマスプレゼント。お正月のお年玉。さらに次男の誕生日と、本当に年末年始、物入りが続いて家計が圧迫されたものだ。

ところで夫の実家では、クリスマスも誕生日も、お祝いに何かプレゼントをもらうという習慣が無かったらしい。

だから、何か欲しいものがあれば、自分で買ってくださいと、一緒になった頃に言われて、サプライズ好きの私には、何だか冷たい人だなと思ったこともあったものだ。

子らは別として、夫婦でクリスマスや誕生日に、何か物を贈りあうということが無くなると、とても気楽になった。ある程度年齢を重ねれば、それなりに好みや使い勝手の良さなど、本当に欲しいものは、自分で購入できるようにもなる。

相手が何を欲しがっているかと、あれこれ悩むことも、楽しいことなのかも知れないが、どうしても必要な物や、本当に欲しい物は、どうしたって手に入れようとするから、誰かに買ってもらうこともないように感じる。

夫と一緒になってからの誕生日は、お互いにもっぱら”旅行”がプレゼントだ。

二人で気分転換に旅に出ることは、何よりの二人の望むプレゼントだと分かっているからこそのことかも知れない。どこでもいいから、できれば温泉にゆっくり浸かって、豪華な食事でなくても、そこそこ美味しい物を食べ、カメラを抱えて、訪れた場所の写真を撮りに散歩する。

これが二人の一番の嬉しいことだ。

だが、サプライズが無いわけではない。
これだけプレゼントは無いとか書きながら、実は夫はプレゼントをこまめにしてくれる。私が絶対選ばないような色目の靴とか、洋服。調味料や、便利グッズが、時々私の為にと、宅配便で届く。色目についてはちょっと勇気がいるけれど、

「絶対似合うよ。」

などと言われて着てみれば、自分でもまんざらではない。
決して高価な物ではないが、私の為に選んでくれたということが嬉しい。

私はというと、夫には全く何も買ってあげたことが無い。
「でも、毎日美味しいものを作っているから、セーフかな…。」
などと、自分では思っているような呑気者なのだ。

書いていて、ちょっと申訳ないような気になってしまった。(笑)

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イタリアン


デージー
2017.01.08(日) 
                                                                              
昨日は長男とその彼女、そして彼女のお母さんの4人でランチを楽しんできた。

予約しておいてくれたイタリアンレストランは、小さいながら落ち着いた雰囲気で、カウンターバーの向こうにはお洒落な瓶が幾本も並べられているような店だった。

テーブル席に通され、前菜からいただく。彩も良くさっぱりとして食べやすい。ゆったりと会話を楽しむリズムで、次々とお料理が運ばれてきた。

今回初めて相手のお母さんにお会いしたのだが、親子というのは本当に似るものだとあらためて思った。彼女とそのお母さんが並んで向かい側に座っていると、目元だけでなく雰囲気までそっくりで、ちょっとした仕草まで似ている。

私と息子も、他人から言われてみないと分からないが、目元が似ているそうだ。

彼女のお母さんは介護職を9年続けて来られたという。正社員で夜勤などもこなしていることは、看護師になった娘さんも同じなので、お互いに大変さも分かってとても仲が良いようだ。

コスメやファッションだけでなく、職場についても共有できることは羨ましいかぎりだ。
そして何より、「女同士」という関係は、やっぱり私には経験できないことなので、二人並んで座る姿をみていても、とても羨ましい気持ちになったのだった。

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独りお出かけ


テッポウユリ
2017.01.07(土) 

今日は珍しく独りでお出かけする。

夫と一緒になってから、独りで知らない所へお出かけするということが、年に数回しか無いような生活を、なんと10年以上も続けてしまったので、今日のような状況になるとものすごく緊張する。

 こんなことを書くと、大げさな人だと思われるかもしれない。自分でもいい年をして、緊張すること自体、ちょっと恥ずかしいように思う。

 でも人間は本当に使わない神経は退化してしまうのだと感じる。

 私だって、昔はそんなことは無かった…気がする。脳みそは楽をするとどんどん楽なことを覚えてしまうようだ。ぼーっとしていても、日本全国旅して来た私だ。そんな生活を長年続けていると、こんな風になるのも当たり前かもしれない。

 お出かけして不安になるのは、もちろん独りで知らないところへ出かける経験が少ないからだろう。仕事で否応なしに経験した人には、度胸も自信も着くものだ。

 そんなことを考えながら、楽をしてきた分の緊張だと腹をくくり、お出かけしてくることにする。

 実は今日は長男の彼女のお母さんと、初めてのお食事会なのだ。お出かけするだけでも緊張するのに、半端ない緊張感はその為だ。
 長男と彼女から、母親たちをランチにご招待してくれるそうだ。

 楽しいひと時を過ごしている場面を想像して、頑張って出かける準備をしよう。

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人の気持ち


テイキンザクラ
2017.01.06(金)

 みんなどうやって人付き合いをしているのだろうと、時々ふっと考えたりしてしまう。私自身が、人付き合いが苦手だから、そんなことを考えるのかもしれない。

 皆、いろんな感性を持ち、いろんな環境で育ってきているから、どのように感じているかは謎のような気がして、かなり不安感を覚えてしまう。

 これは昔からそうだったようにも思うし、年を重ねれば重ねるほど増しているようにも思える。

 自分の言った一言が、どのように受け取られているか、どのように感じているのか、心配になったり気になったりするのは、もともとの性格だから、よく人は簡単に、
「気にしなければいい」
というけれど、それがなかなかできないのだ。

 困った性格だなと思う。もっと気楽に生きられればいいのにとよく思う。

 そこで私の場合、他の事に神経を集中するという方法でしのいでいることが多い。

 気になる一言を言われた時や、なぜそんな態度をとるのかと、分からなくなってしまうときなど、その人に直接聞ける場合など殆ど無いので、一応、自分の言い分というか、その時の状況を省みることはしても、後はいくら考えても、人の気持ちなど分かりはしないのだから、それ以上に悩んだり苦しんだり、はたまた、自分を責めたりするのはやめるようにしている。

 その方法として、たとえば、お笑い番組を観るとか、読書をして本の世界の中へ入り込むとか、もちろんこうして好きなことを書くとかする行為で、しばし気持ちを癒すのだ。

 そうすると、とても気になっていたことが、少し薄らぐような気分になり、勝手な思い込みからさらに悪いことを想像するということが起こらなくなった。

 私のように、ちょっとしたこともすぐに気になってしまう人は、世の中そんなに多くないのかも知れないけれど、お笑い番組が沢山あることを思うと、知らず知らずのうちに、そうやって心を癒している人は以外に多いのかもしれない。

 今の連れ合いとよくお笑い番組を観る。そして大声で二人で笑い合う。笑うことで心も体も喜んでいるのがとてもよく分かる。

 そういえば、今の連れ合いと、初めてテレビを観たとき、たまたまお笑い番組で、一緒に大笑いしていることが物凄く嬉しかったことを思い出した。

 私が今、生きていられるお蔭は、ある意味、そんな夫が傍にいてくれるからだと思っている。

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