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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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№102 二人でいれば

 
シナノキンバイ
2017.02.24(金) 

私たち夫婦は、どちらも一緒にいることが楽しいと感じているし、もとより、一緒になった理由が、二人で楽しく暮らすということだから、お互いが遊び相手なのである。

こんな夫婦はなかなかいないと思う。
もちろん再婚夫婦だから、まだ何十年も一緒にいる夫婦とは違うのも確かだ。だが何十年も一緒にいても、私たちより上手がいたことを懐かしく思い出す。

それは夫の両親だ。もう二人ともが亡くなってしまったが、本当に仲のいい夫婦だった。二人でいればそれでいいという感じだった。

ある日、地域の人が訪ねてきてこう言ったそうだ。
「二人で家にこもっていたらダメだから、老人の集まりに参加すればいい」
ご親切にも、敬老会への参加を勧めに来られたのだ。
だが、お義母さんは丁寧にお断りしたそうだ。

そして、その時のことを私にこう言っていた。
「何が二人で家にこもってたらダメよ。
 お父さんと二人で楽しく暮らしてるのに、大きなお世話だわ。しかも敬老会だなんて、そんな年寄りの集まりに何が楽しくて行かなきゃならないのよ」

「いやいや、お義母さん。確かにもうかなりのお歳ですが…」
と、そこだけはちょっと思ったが、口には出さなかった。

何といっても、どんなにお年を召しても、ちゃんと薄化粧して綺麗にしていたお義母さん。お義父さんとの掛け合いのようなおしゃべりも、聞いているだけで楽しかった。そして何より二人ともかっこ良かった。

こんなに長い間、夫婦をやっていても、こんなに仲良くしていられるんだとしみじみ思った。お互いがお互いを大切に思い、好き合っているのがはた目からも分かる。

私たち夫婦も、もう夫の両親のようになってきているのかなと思う。二人でいれば楽しいと思う毎日だから。

     (アメブロ 花の夢 掲載)

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№101 100回記念


サルメンエビネ
2017.02.23(木) 

昨日アップしてて、№がダブってることに気が付いた。
ありゃりゃという感じの100回記念。何だか節目を逃してしまった気分だ。

こういうところも関西弁では『どんくさい』私。
「詰めが甘い」
と、昔友達に言われた一言が思い出される。私という人間を言い当ててるなぁと思う。

結構いい感じでいろんなことも出来るのだが、何故だか詰めが甘いがゆえに、それまでの苦労が水の泡になってしまうことがやたら多い気がする。

「欠点なんだろうなぁ。」
と、思いつつも、未だに攻略方が見つかっていない。

どうも元来が「おバカ」なのである。
これはもうどうにもならない致命的なことだ。ある程度いろんなことはこなせても、ベースがおバカだから人がこけないようなところでも躓くのである。

だがこんな私でも、それがゆえにいいこともあると思っている。

それは「人を嫉まない」ということだ。そういう気持ちになったことが無い。ゆえにそういうことで苦しんだことが無いのだ。これはとても有り難いことだと思っている。

だが実は、これこそ「おバカ」の副産物かも知れない。

逆に「どうしてそんなことで嫉むのか分からない」ということも、昔からよく経験することだ。だから人と少し感覚が違うのだと気が付くのに時間がかかった。

今は「嫉む」人もいるということを学習したので、そういう考えを聞いても驚かなくなった。

世界は広い。いろんな感性の人が入り乱れて生きている。だから面白いのだろうけれど、不思議な世界だなとつくづく思う。

私はいつまでこの不思議な世界に滞在するのだろう。
そんな事を「おバカ」な頭でふと考えた今日は101回目の記念日の夜となった。

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№100 休日前夜

 
サワギク
2017.02.22(水) 

いくつになっても
「明日は休みだぁー!」
という休日前夜は嬉しいものだ。

今はパートなので、週4日しか働いていない。木曜と土日が休みだが、水曜日がフル出勤で一日仕事をしていることもあり、特に水曜の夜は解放感に包まれる。

「仕事しないで遊んで暮らしたいー」
とか、
「一日中好きなことをして、家にいたいー」
とか、
「なぁーんにもしないで、だらだらしていたいー」
だとか、時々叫んでしまう私だが、人生そう甘くない。

こんな風に休日前夜が嬉しと感じられるのは、やっぱり仕事に行っているお蔭でもある。

お金の心配をしないで、遊んで暮らしたことがないのでよく分からないが、それが当たり前なら、それはそれでまた何か楽しみを見つけようとするのかも知れない。結局、何でも慣れてしまうと感動が薄れ、その生活なりスタイルを壊したくなるような気もする。

何か不完全で、もっとこうしたいとか、ああしたいとか思う気持ちがあるときが、実は一番充実しているように思う。

さて、明日は何をして遊ぼうか…。
考えただけで心がウキウキしてくる夜だ。

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№99 電池切れ


サギゴケ
2017.02.21(火)

楽しいことがあってハイテンションになった後や、熱中して家事をした後など、疲れてしまうとしばしば起こる。それが”電池切れ”状態だ。

私の場合、特に目とその奥の神経が疲れてしまうようだ。

疲れてくると、とにかく目を瞑りたくなってしまう。そしてそのまま「フッ」と寝てしまうのだ。これを私は”電池切れ”と呼んでいる。

ほんの少し充電するとまた元気になるのだが、とにかく寝ないとダメなタイプなのだと思う。

どこでも寝られるという特技にも繋がっているが、逆にもっと起きていたいのに眠くなってしまうのは結構辛いものだ。

昨日の日記を書いてる途中で、突然そんな”電池切れ”になって寝てしまった。

最近、お料理やお菓子作りが楽しくて、仕事で疲れているはずなのに脳が疲れていると認識させないようだ。

のんびりやらなくちゃと思っている。

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№98 乗り物好き


サカキ
2017.02.20(月)
 
旅行記を書いていて思ったことだが、飛行機や電車や船に乗るのは、遊園地気分でとても嬉しい。

もちろん大切な移動手段なのだが、私にとってはたんなる移動手段だけではない。むしろ乗り物に乗ることが楽しいし、また楽しまないとすごく勿体ない気分になる。

例えば飛行機。
飛行機はそれほど乗る機会は頻繁に無いから、特に楽しもうと気合が入る。空港に入っただけでワクワクする。

空港の手荷物検査も、別に悪いことをしているわけではないのに何となく緊張してドキドキしてしまう。このドキドキ感も面白いことの一つだ。

目の前に広がる滑走路と巨大な飛行機は、眺めているだけで楽しい。作業している人がいれば、なおさら興味深く眺めてしまう。次々に流れる搭乗のアナウンス。そして乗り込む乗客の列。こんな風に過ごしているから、待ち時間も基本的に退屈することは無い。

クライマックスは離着陸。もちろん上空を飛んでいるときの不思議な感覚も面白い。音も振動もほとんどないような世界に、ただ存在していることのみを感じられる瞬間だ。稀に、機体が揺れたりしたら、怖い気持ちにもなるが、二度と乗るまいと思うほどの怖さを飛行機で感じたことはまだないから、私にとってはやっぱりこの怖さも楽しさのうちに入っている気がする。

飛行機だけでなく、旅先で乗る電車やバスもことさら面白い。その土地の広告が貼り付けられていれば上々だ。旅先でしか乗れない船は、飛行機と同じくらいアトラクション気分になる。

いつも思うことは、この乗り物たちが、みな人の手によって造られたということだ。どれだけの多くの作業があったか想像するだけで、自分がその乗り物を利用していることに感動する。

旅することの楽しさが倍増するのは、乗り物たちのお蔭だと思う。

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№97 心を整える


ワタ
2017.02.19(日) 

最近特にお菓子作りやお料理にはまっているが、私にとってお料理は、調理するだけでなくストレスが発散できることだと思う。

実際に作るまでに、手持ちの食材を確認したり献立を考えたり、そして、買い出ししたりと大変だが、それでも”作る”という楽しさと、出来上がって食べるという楽しみがあるので、料理は格別な気がする。

様々な食材を手に取り、それぞれの感触や匂いを感じながら出来上がりをイメージして調理していくのはとても楽しい。味付けは科学の実験のようでもあり、脳に刻まれた味覚を通して、遠い過去の記憶を蘇らせる作業のようにも感じる。

知らないうちに調理に集中して、それ以外のことからしばらく心を遠ざけることができ、料理が出来上がったころには、すっかり気分転換ができているように思うのだ。

他にも心を整えるのに良いもはいろいろある。

今はやらないが、若い頃はエレクトーンをやっていたこともあったので、
「ヘッドホンをしてエレクトーンの練習をする」
というのもある。
編み物や刺繍も好きなので、そういうことをするのも心が落ち着くことだった。

今はお庭が無いのでできないが、草むしりとか花がら積みも、黙々と作業することでとても心がすっきりしたことを覚えている。

お花を活けることも集中力がいるので、気分がしゃんとする。あの枝や茎を切る瞬間の張りつめた感覚。そして部屋に響く花ばさみの音。鋭い剣山と指先を濡らす花器に張った水。そして漂う花の香り。全てが私を見つめるているようで、凛とした空間があったことを思い出す。

花たちに心を整えさせてもらえる場所だった。

どれも集中して作業をすることで、心が落ち着くことはとても不思議だ。昔から人はそうやって、様々なことを通して心を回復させる術を身に着けてきたのかもしれない。

           (アメブロ 花の夢 掲載)

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№96 就職して一年


ロベリアソウ
2017.02.18(土) 

たしか去年の2月から働き出したと記憶していて、調べてみた。
去年はうるう年だったことも忘れていたが、2月29日(月)が、今の職場の初出勤だった。

最初の頃は、まだ前職の塾での事務も兼ねていたし、出勤時間も午前10時からだったことが思い出されて懐かしい。

あっという間の一年だったが、先日、同じ職場の衛生士さんにそのことを話すと、そんなにいるとは思えないと言われた。確かに、私もやっと慣れてきた感じがしているので、一年も経った気がしないのが本当のところだ。

どこの職場に勤めても、なかなかなじむのが難しい。特に、常勤でなくパートなので、毎日勤務するわけではないし、一日の時間が短いということもある。

やっぱり性格的に飽きっぽいのと、辛抱する気持ちが弱いということ。そして、辞めても何とか生活していける…という考えが頭をかすめるからだと思うが、今度ばかりはもう、次を探すパワーも無いし、条件も、仕事の内容もそこそこ満足しているので、長く勤められたらいいなと考えている。

友人たちが、一つ所でずっとパート勤務しているのを聞くと、本当にすごいなと思ってしまう。どんな職場にも、気が合わない人もいれば、思った条件にそぐわないことだってある。なのに、十何年も同じ職場に勤めているということは、きっと人間関係も上手くやっているのだろうし、嫌なことがあっても辛抱できる力があるのだろうと思う。

息子たちにも言っているが、
「とにかく辛抱強くやる」
ということを、母親である私が、実は一番実践しなくてはならない。

また初心に戻って、しっかりやっていこうと思う。

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№95 耐熱ガラス


ローズゼラニウム
2017.02.17(金) 

アメブロで
「あなたは何でできている?」
 ―成分チェッカーで分析する―
っていうのをやってみた。

華凛って名前を入れるだけ。

『打ち砕かれやすい
 ガラスのハートタイプ』って出た。

それで書いた記事が以下のこれ。

_________
自分的にはやはりそうだよねって感じですが…。
これがねぇー。誰からもそんな風には見られないんだよね。
「明るく 元気」なイメージらしくてさ。
でも、最近は
「私、ガラスです」って
厚かましく心の中で思ったりできるようになった。
人生折り返しの年齢でやっと好きに生きようと思えたのかも。
無理して「明るく元気でいい人」やんなくてものいかなとね。
脆いガラスも、焼きを入れて少し強くなったかもしれない。
本当は、iwkiの耐熱ガラスなみだったりして…(笑)
iwkiの商品とっても使いやすくて好きなんだよね。
同じくらい自分の事も好きになりたいな。
_________

でも、FBでも名前を入れるだけでできる、占い的なものがあるけど、今日やったのも、どうやって結果を導き出してるんだろう…って思う。

華凛…ていう名前を入れた人は、みんな同じ答えなのかな?
それとも、年齢とか性別とか、ブログの好みの記事とか、そんなことも条件にはいってるのあかな?
ちょっと不思議な気持ちだけど、今回も、当たってる気がしてしまって面白かった。
占いって案外そういうのもなのかな。
「当たってるー!」
って、そういう気分になるものね。
それとも、人って、多面性があるから、結局、当たってると思うことを、即座に見つけられるようにできてるのかな。

私の場合は、自分ではいろんなことが気になって、考えすぎたり勝手に傷ついちゃったりすることが多いから、当たってるなと思ったんだけど。

今夜はそんな感じでアメブロで遊んでみました。

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№94 ドアホン


ワスレナグサ
2017.02.16(木)
 
最近、夫も私も、少々耳が聞こえにくくなってきているようだ。そのため、二人が使っている寝室兼作業部屋にはドアホンが聞こえにくく、宅配便の人が来ても留守と思って帰ってしまうことがたびたびあった。

ドラえもんのポケットじゃないが、そこで取り付けたのが、
「どこでもドアホン」
商品名は違うが、まったくそういう感じの物を購入した。

押す方のベル1個と、音が鳴る方の受信機が2個ついていて、しかもワイヤレス。
30メートル離れても鳴るというすぐれものだ。

うちの場合は、もちろん玄関の外に取り付けたが、例えば、夫の部屋にベルを置き、キッチンに居る私のそばに受信機を置いておけば、必要な時に私を呼ぶこともできる。

介護の現場や職場内でも使用可能という説明書に納得した。

音も数種類の曲があるうえ、受信していることを知らせる光も点滅するので、とてもよくできていると思う。

さっそくベルを玄関の外のもともと呼び鈴があるところに貼り付け、実験よろしく鳴らしてみた。音量も好きに調整できて、すこぶるいい感じだ。

「誰か訪ねて来ないかな…」
選曲した受信機をキッチンで眺めながら思わず呟いた。

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№93 繰り返し


ロウバイ
2017.02.15(水) 

少し前のことだが、FBの占いのようなもので、
「2017年のあなたの座右の銘は…」
というのをクリックしてみた。
いったいどういう仕組みで、結果がでるのか分からないが、時々面白そうなものを見つけると、ついクリックしてしまう。

私の座右の銘は
「人間の一生は安定したものではなく、良いときと悪いときの繰り返しである。」
だそうだ。

でも、あながち突拍子も無いことだととも思わず、何となく納得してしまうような答えが出るから面白いものだ。

「良いときと悪いときの繰り返し」
これは本当にそうだと思っているからだ。

まるで大きな波や小さな波が寄せては返すように、良いときと悪いときが繰り返しやってくる。

一日でその波が変わることもあるし、数か月、何年という大きな波も同時に受けているような気がする。

例えば、昨日は少し落ち込むようなことが続いていたが、今日は何となく良いことが重なるように起こり、気分も軽やかに過ごせた。
毎日毎日が変わりなく繰り返されているようで、一日一日が二度とない一日だ。

変化があるようで無いようで、実はあるのだが、実際には殆ど気が付かずに毎日を過ごしている。何事も無く、変化が無いようであるのに、つもりつもれば、ものすごく変化していることに気がついたりもする。

この変化を起こす元こそが、日々の”良いときと悪いときの繰り返し”なのではないかと思うのだ。

今日もそんなことをぼんやり考えながら、一日を終えようとしている。昨日と同じようにベッドの上でノートパソコンを打ちながら、とりとめのないことを思い、そして書いている。

だが確かに、昨日ではない。
唯一無二の今日なのだ。
たった一度しかない今日が終わろうとしている。

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