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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

№115 のどちんこ

 
サルスベリ
2017.03.09(木)  

朝方、痰が絡むような感じがあって、その気持ち悪さから目を覚ました。何とか喉から出したくて強く吐いて、そして再び眠ってしまった。

起きてもまだ喉がおかしいので、痰を出すように吐き出すと、何とすごい血!

歯科医院でオペも見てきて、血に対しては少しは慣れている私だが、喉の痛みと見えない場所からの出血で、とたんにビビる。

とりあえずうがいして、明るい所で大きな口を開けて見てみた。
なんとのどちんこに出血の跡がある。

どうもここのところ咳が続いていたので、喉が腫れていたのだろう。そこへ無理な圧をかけてしまって、余計に炎症が広がってしまったようだ。

鏡越しに見る”のどちんこ”は、悲惨な姿で赤くなっている。

しばらくおとなしく、口を慎むようにと、天の神様に言われているような気がする。

愚痴ばっかり言ってるのがどうもばれているようだ。
今風に言うと…「マジ、やばい感じ」だ。

心はなかなか入れ替えたりできないが、しばらくはおとなしく、感謝の気持ちで過ごすようにこころがけようと思う。

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№114 世界を思えば


シロバナノヘビイチゴ
2017.03.08(水) 

昨夜はベットに入ると、パソコンをつけるのももどかしく、直ぐに眠りに落ちてしまった。やはり体調不良と神経が疲れているのに、出勤したせいだと思う。

身体は正直だ。

まるで、負傷兵が戦いに出ていくような気持で出勤したのだが、敵はどこにも見当たらなかった。もしかすると、亡霊のような錯覚だったのかと思わせるほどの、人の変わりように、これまた驚くばかりだった。

こんなたいしたこともない仕事に出るために、まるで戦場へ行くような書き方をしたら、本当の戦争を経験している人からすれば、呆れるほど甘っちょろいことを言っているように思われるだろう。

私の親の世代は、幼い頃に戦争を経験していたり、実際に戦地へ赴いたりした人たちもいたが、私と言えば、生まれてこのかたずっと平和な中で生活してきている。

本当に有り難いことだが、最近の世界情勢をみていると、とても不安な気持ちになってしまうのは、私だけでは無いのではないだろうか。

戦争を知らないだけに、この平和な世界がどれほど尊いものか、身に染みて分かっていないだけに、何となく世界中が不穏な雰囲気に包まれてきているように感じて、この甘ったるくて幸せな、それこそ夢のような世界が終わるのではないかと思うととても恐ろしい。

世界中の現実を思えば、私の今置かれている状況なんて、本当は何でもないことのような気がしてくる。

自分の居る井戸の中の水が汚いと、嘆き悲しんでばかりいても仕方がない。
それよりも井戸の外にある安全な我が家と、その周りに広がる素晴らしい世界を自由に行き来できることを楽しもう。
たまたま選んでしまった井戸だが、そこからも外に広がっている空を見上げることが出来ることを忘れないで、もう気を病むのはよそうと思う。
     (2017.03.09 記)

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№113 ずる休み


シロバナアケビ
2017.03.07(火) 

久しぶりにずる休みをしてしまった。
仕事をしていて、今日のようにずる休みをすることなど、本当に滅多にないことだ。

確かに、咳が出て、低体温で具合が悪いというのはあるのだが、今日は一日ずっとテレビを見たり、ネットを眺めたりして過ごしていた。

何もしないで、何も言わないで、そっとしておいてもらえる。
そんな有り難さを感じながらの一日だった。

ずる休みといえば、学生の頃、学校に行きたくなくて、時々、親を使って休んだりしたものだ。たいして熱も無いのに、親が電話しないと休めないから、親に嘘の電話を学校にしてもらうのだ。

今思えば、よくそんな事をうちの親はしてくれたものだなと思う。

休めば休むほど、学校に行きにくくなってしまうことは、そんな学生時代に十分経験済みなので、明日は思い切って仕事に行こうと思う。

誰も守ってはくれないし、誰も信用できないような職場だが、そんなことはもうどうでもいい。
職場でなんて、そう簡単に信頼できて気が合うような”友達”なんて出来ないことは、もう十分知っているはずだ。なのに、人間が甘いというか、自分で言うのもなんだが、人が良いというか、直ぐに仲良くなれそうな気になってしまう。

いろんな想いが渦巻くそんな職場だが、どこまで続けられるか、やってみようと思う。

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№112 我が職場


シロバナジンチョウゲ
2017.03.06(月) 

最近、職場でのストレスが溜まって、ついに体調にまで影響が出ている気がする。
少し風邪気味で、咳が出ているので、ただストレスというだけではない。

だが、胸のあたりから、喉の奥の方へかけて、締め付けるような圧迫感が続いている。

原因は、職場での一番かかわりの深い人の影響だ。

実際に、その人のいうところの職場環境の悪さや、オーナーである院長の対応についても、彼女の言うことも分からないでもない。
言わんとすることも理解できるし、言いたくなる気持ちも実際よくわかる。

それにしても、体調が悪くなるほど、言葉の影響をもろに受けてしまうのはどうしてだろう。

世間の人はどのようにして、このような事態をしのいでいるだろう。

人の口から吐き出される、悪意に満ちた言葉の数々が、私の神経と体を蝕んでいく。
反論することも、意見することも求められてはいない。
ただ、聞くしかない立場で、このような罵詈雑言を一身に受けていると、本当に具合が悪くなってしまう。

言葉は恐ろしい威力を持っている。

彼女はそんな事には少しも気づいてない。
その彼女がいるお蔭で、確かに職場はまわっている。
責任者なのだから、並大抵の苦労ではないかも知れない。

だが、私の知っている限り、私が就職してから、はや2人の人がその毒気にやられて退職に追い込まれた。

実際のところは、様々な原因と理由によっての退職だから、彼女が原因とは決めつけられないが、もしかしたら私も、過去の退職者のように体を壊してしまうかもしれない。
いや、神経がやられるかもしれない。

それとも、そんなことに負けないで、たぶん、今の状況を誰かに相談したら、間違いなく誰もが口にするだろう言葉…。
「気にしない」
で、強い心にならなくてはならないのだろうか。

私は弱い人間なのだろうか。

耳を覆いたくなる汚い言葉と、人を貶し、人の欠点をあげつらう言葉たちが常に職場に充満している。
そして、彼女の吐く重い重いため息と、時にはデスクを叩いたり、物にあたる音が響く。
そんな環境が、私の心と体を蝕んでいくような気がする。

こういう呪詛のような言葉たちから身を守る方法はあるのだろうか。

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№111 ピグライフ


シロツメグサ
2017.03.05(日) 

久しぶりに、アメーバのピグライフにINしてみた。
お庭で野菜やお花を育てるゲームだが、箱庭のようで、一時は本当にこのゲームにはまっていた。というより、お庭の中に逃げ込んでいた時期があった。

ピグライフ自体がもう6周年くらいになるのだが、私がお庭から離れてまだ半年くらいだろうか。

もともと、リアルでも家の中の模様替えが大好きなので、仮想空間の中で、可愛らしい小物や家具が次々手に入るというこのゲームは、夢中になるのも当たり前という感じだ。

その上、自分に似せて作っているピグも、洋服や小物、髪型やお化粧までできるだけでなく、PCの画面の中でいろんな動きができるので、着せ替え人形以上の面白さがある。

PCを始めた2000年当時、文字だけでチャットしていたが、このピグを動かして、
「うんうん」
と頷いて相槌をうったり、涙を流したり、飛び上がって喜んだり、そんなアクションをしながらチャットできるのだから、楽しくないはずがない。

その上、ピグライフのお庭の作物やお花のデザインが、これまた本当に美しい。

ピグライフが始まったばかりの頃は、ピグに対して家具や小物が大き過ぎて、まるでリアル感が無かったが、今ではとても小さいサイズになって、それでいて拡大して見ても、細部まで綺麗に描かれているのには、たかがゲームといえど素晴らしいと思ってしまう。

だが本当に人間というものは、完成するまでが楽しいのだとつくづく感じる。

クエストで手に入れた物を使って、自分独自のお庭を造ることができるのだが、こだわって造り切ってしまうと、次にやりたいのは”破壊”なのだ。

猛烈に壊したくなってしまう。

造っては壊し…そしてまた、造っては壊し…。
そんな繰り返しを何年も続けてきた。

久しぶりにピグライフにINして、仮想空間に広がる可愛らしい小物や花々には、やっぱり魅力を感じるけれど、もうそこで造ろうとは思わない自分が居た。

造っても造っても、それは所詮、仮想空間のことでしかない。
例えば、朽ち果てることもなければ、壊れることもない。いつまでも美しいままだが、変化が無いというのはやっぱり人工の物なのだ。当たり前だけど…。もちろんPCの中なのだから。

何年も何十年も磨き上げられた、木造の木肌のあの深い色合い。そんな美しさとそのぬくもりは、自然の力と人の手が時間をかけて作り出したものだ。

目には見えない時の移ろい。そしてそれに伴う自然の変化。こうした自然の変化を止めることはできないがゆえに、変化しないものへも憧れたり望んだりするのだろうが、やっぱり自然に勝るものは無い気がする。
私にとってのピグライフの時代は終わったのだと思う。

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№110 おから


シロアザミゲシ
2017.03.04(土) 

幼い頃、おからを食べるとき、こぼすと貧乏になると親から言われ、それ以来、おからを食べるときは、異常なほど緊張するということが続いていた。
どうしておからをこぼすと、貧乏になるのか…。

理由など分からないまま、信じ込んでいたことが何と多いことか。

先日書いた記事の「お朔日」について、親からただ聞いてきたことだが、実際のところはどういうことだったのか、少しググってみた。そのとき「おから」のことについての記事も見つけることができ、驚いてしまった。

京都はもともと一年を通じて食べる日が決まっているものが結構多い。

私などは、ゆるゆるの感覚で教えられた気がするので、七月の土用のうなぎ、六月の水無月、冬至のかぼちゃぐらいしか記憶に残っていない。
本来はもっとあるようだ。

ただ、月末にたべるおからが、もともと「おからを炒る」ということから、集金が上手くできるようにという験をかつぐものだということは、うっすらだか聞いた記憶がある。
また、おからを「きらず」ということから、「お金がきれないように」とも言われるということもあって、おからを落としたり、こぼしたりすると、貧乏になるというようなことを、子どものころ食べるたびに親から言われていたのだと思う。

もちろん、「おからの炊いたん」=「おからの煮物」は、子どものころは食べにくい食べ物だったし、こぼしたり落としたりすると汚いので、気をつけて食べさせるために風習にかこつけて言われてたのだろうと今頃分かった。

関東に嫁いで13年。 テレビの『秘密のケンミンSHOW』を観ていて、
「それ、京都だけやったん?」
と、びっくりすることも多いが、知らない間に親から伝え聞いたことというのは、その土地独特のもので、面白いものだなと思う。

もうおからをこぼすこともなく、上手にお箸も使えるような大人には成長した私だが、それでもおからを見るといまだに緊張してしまうのは、ちょっと困ったことだ。

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№109 お雛様


モモ
2017.03.03(金) 

今日はそういえば「桃の節句」だった。
というのも、我が家では女の子がいないだけでなく、お雛様が無くなってしまったので、お雛祭り自体を意識しなくなってしまった。

私が両親から買ってもらったお雛様はもう手元には無い。


京都の友人にちょっといろいろ事情のある友人がいた。離婚して子ども二人を育てていた。実家に頼ることも出来ない中で、長男は生まれながらに少し障害があり、長女は小さいのにお姉ちゃんらしかったことを思い出す。

私が京都を離れることになった時、可愛らしいその女の子に、私のお雛様でよければともらってもらったのだ。

自分の子どものことだけでも大変なのに、引っ越しの日にも顔を出してくれた。

「お雛様、大切にするからね」
と、何度も言ってくれた。

私に女の子は授からなかったが、結婚しても毎年お雛様を出して飾っていたことをその友人も知っていた。お互いが独身の時も、結婚してからも、私の家でお雛祭りを一緒に楽しんだこともあった。

亡くなった私の母から、
「一年に一回しか箱から出してあげられないのだから、必ず出してあげるように」
と、いつも言われていたので、必ず毎年飾っていたお雛様だった。

昔風の6段飾りは、お雛様を飾る段の組み立ても結構大変だった。小物は沢山あるし、古くなってきて扱うのにも神経を使う。だがやっぱりお雛様を飾るのはとても楽しかった。


緋毛氈を作った段に敷いて、まず一番最初に金屏風を飾る。すると部屋の雰囲気がもうそれだけで華やかに感じられたものだ。お人形たちの座る台を準備すると、いよいよ箱から人形を出してゆく。一年ぶりの再会だ。そっとお雛様やお内裏様のお顔にかけてある半紙を取るときの緊張感。そして全てのそれぞれのお人形にお道具を持たせて、勢ぞろいしたときの達成感はとても気持ちのよいものだった。

毎年、お雛祭りが終わると、一体一体、お顔を拭いて言葉をかけながら片付けてゆく。お雛様を飾るときのウキウキする気持ちと、お雛様を片付けるときの今年も出してあげられたという安堵した気持ちは、今でも懐かしく思い出される。


あのお雛様たちは、今も大切に飾ってもらっているのだろうか。それとも、もう壊れて飾れなくなってしまっただろうか。

それにしても、初めて友人宅で箱から出してもらったお雛様たち。
「あれ?」
なんて驚いていたかもしれないと思うと、今更ながら、申し訳ないような気分になってしまう。

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№108 休日出勤


サントリナ
2017.03.02(木) 

急な仕事が入って、朝から出勤してきた。

どんな職場も大変なことが多いのは同じだが、大きい職場にはそれゆえの、小さい職場にはそれなりの大変さがある。

といっても、私は企業に勤めたことが無い。
ちゃんとした職場とかいうと語弊があるかもしれないが、歯科医院で従業員10人くらいのところで就職していたことが一番多い。

建設関係で事務の仕事をしていた時期もあるが、そこが唯一の「会社」といえる環境だった。

社長や常務、専務、部長などの役職や、一緒にお仕事している「営業さん」たちなど、私にとってはそこだけはまだ”ちゃんとした職場”だった気がする。

その会社に勤めていたころは、パートでも有休があったし、3年目からは少ないながらも賞与も出してくれた。雇用契約書なるものも、初めて交わしたのもこの会社だった。

「会社だとこういうものがあるんだ…」
と、とても新鮮だったのが懐かしく思い出される。

それほど歯科医院というところは、ちゃんとしていない気がする。

有休なんてあるはずもなく、衛生士さんたちもボーナスなど無いところの方がまだ多い気がする。雇用保険さえかけもらえないような歯科医院も多い。
パートで働いていても、何年も時給が上がらないというのは普通の話しだ。

今働いている私の職場も、時給はUPしないと思うし、実際、勤続何年経てば、時給が上がるなどの話しも一切ない。

それでも、求人などで歯科医院の賃金や福利厚生を見ていると、昔よりは労働条件も改善されているところもちらほらでてきたように思う。
だがまだまだ歯科医院のオーナーである院長の、雇用に対する意識が極めて低いように思えてならない。

「院長」と呼ばれる経営者が牛耳るこの世界は、本当に昔から殆ど変わっていない独特の世界だと思う。

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№107 お朔日(ついたち)


シラン
2017.03.01(水) 

あっという間に3月に入った。
今日はお朔日。

子どものころから、”お朔日”を意識して過ごすような家庭で育ったので、今でも何となく気になってしまう。
月の初めの一日を、出来るだけ心穏やかに過ごすようにと、今日を過ごしていた。

そもそも”お朔日”というのは京都の商家の習わしのようだが、私が特にそのような家庭で育ったわけではない。
だが、祖母や母から、その名残のように、”お朔日”を大切に迎える気持だけを受け継いだように思う。

無事にお朔日が迎えられた感謝と、今月も一か月間、皆が無事に過ごせますようにという願いを持って一日を終えられるように意識して過ごすのだ。

何だかその月を占うようだが、お朔日に起こったことは、その月によく起こるという風にも教えられてきたので、特にお金を使うのはお朔日は避けるようにしてきた。お朔日からお金を使うようだと、その月は出費がかさむ月になると、親にたしなめられてきたからだ。

お金の事と同じように、その日一日を気持ちよく過ごすことが、今月一か月を気持ちよく過ごせるためであるかのように、特別な気持ちになってしまう。

幼い頃から身に染みついたことというのは、いくつになっても抜けないものだ。

なのに、この記事を書いていて、実はくたびれて寝てしまった。
日記を毎日続けるということを目標にしているのに、なんとなんと、”お朔日”から書けずに寝てしまうとは…。

今月は、この日記を続けるのが、結構きついと感じる月なのかも知れない。

      (2017.03.02 記載)

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№106 電話


シロバナノヘビイチゴ
2017.02.28(火) 

携帯電話が普及する前なんて話しは、もう昔話みたいになった気がする。

無料で何時間でも電話で話しができるなんて、あの頃から考えると夢のようだ。
もちろん、あの頃とは、私の若い頃のことだ。

今との違いを語ろうとすると、どうしても
「私の若い頃は」
的な語りになるのが、ことさら年をとった気分になって嫌だ。

だがこういうより他に言い方が無い。
こんなにも若い頃と今では、何もかもが違ってしまうとは想像できなかった。

携帯電話が無かった時代には、夜中にこっそり家の電話で彼氏と長電話したものだ。
こっそり電話していても、電話代の請求額で親に知られて怒られるというのも、よくある話しだった。

そのうち携帯電話が普及しだした。
それでもまだ、通話料金は高くて、高額の請求が来るのが怖かった。

なのに今は、通話は無料。しかも、相手の顔を見て話せる時代に突入した。
本当にものすごい進歩だ。

私の母が生きていた頃、今の私と同じような語り口調で昔の事を話していたのを思い出す。

今の私なら、母の若い頃の話しも、もっと興味深く聞いたかもしれない。そして私の幼い頃の話しや、母と娘として過ごした時代を振り返って、面白おかしく語り合えたかもしれない。

便利になった手のひらサイズの携帯電話を見つめて、新しもの好きの母を思い出した夜だった。

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