ハナイソギク
2017.01.21(土)
長く一つの宗教を続けてきた経験があるので、多少、偏った考え方かもしれないと自覚している。
今はいろいろあって、そこには行っていない。だが長くその集団にいたことで、プラスになったこともあったと思っている。
その中の一つに、排泄物に対する感謝の念だ。
お小水や大便はもちろんだが、鼻水や涙、咳や痰も、体の中に溜まった要らない物として、体外に排出させる作用だと思っている。もちろんオデキや湿疹のたぐいもそうだ。
実際に、腰痛がある場所に手のひらをあてると、物凄い熱をもっていたりする。そしてしばらくすると、下痢になることが多い。そして腰痛も少しましになる。痰が出るときもそうだ。ゲホゲホと剥ぐように痰が出てくる様がイメージされて、逆に気持ち良いことさえある。
熱を加えれば柔らかくなり、冷やすと固まるというのは、自然の理なのだと教えられた。
だから、熱が出るということは、体の中の要らない物に熱を加えることで溶かして柔らかくし、体外に排出するために出るのだと教えられた。
もちろん、熱を出すには体力がいるから、ただ喜んでばかりはいられない。幼い子どもなどは、見極めがとても大切だと思う。だが、自分自身の場合には、自分の責任において判断すればいいと考えている。
もちろん病院も行くし、薬を拒絶するわけではない。今は仕事にも行かなくてはならないから、お薬で一時的に抑えることも必要だ。だからお薬も、症状を一時的に抑える為だと考えて服用しているのが本当のところで、それで治ったとかは思っていない。
基本的な考え方としては、やはり長くいたその教えが自分のベースになっていることは否めない。
要するに、風邪ひきや腰痛などの痛みや熱を伴う体調の変化や、様々な日常的に起こるちょっとしたことも、実は自然の理だと思っているところが大きい。
そんな考え方を誰かに強要する気もないし、広める気も無い。
昔はある意味狂っていた気がする。それが使命だと思い込んでいた節が大きいし、傲慢すぎる人生だったと思う。
良きにつけ悪しきにつけ、それも私の歩んだ道で、それ故に今の自分があるのも事実だ。
体調が悪くても、さほど不安にならないのも、こんな考え方や見方ができるからだと、離れた今でも感謝している自分がいる。