ハス
2017.03.11(土)
今でもまだはっきりと目に焼き付いている津波の映像。
テレビで見ていたときに、大勢の人々が逃げ惑っていたのに、私は見つめることしかできなかった。
自宅の仏壇は大きく揺れ、お位牌が倒れて来ないように、思わず手でかばっていた。それこそ、大きく揺れる中で、無我夢中だった。
けれど私には震災というと、亡くなった義母のこと。そしてその3か月後に亡くなった義父のことが思い出されて、辛く苦しい気持ちになる。
震災が起こったあの日は、まさに義母の葬儀の翌日だった。
義母の病気が分かってから亡くなるまでも、義母は素晴らしい人だった。夫と一緒になって、この人を義母と呼ばせてもらえることが、心から嬉しかった。とても私などが、義母の認めるところの息子の嫁などとんでもなく、それ以上に、出来の悪い娘のように思ってくれているように感じていた。それほどに、大きな心で受け入れてくれた義母のことを本当に感謝していた。
何といったらいいのか…。私にとっては次元の違うような人だった。
そんな義母と長年連れ添ってきた義父も、私にとっては優しい人だった。それなのに、私は義父を死なせてしまった。どんなに謝っても、もうどうすることもできない。
義父が旅立ってから、ずっと自分の至らなさを悔いる想から解放されていない。むしろ、決して自分を責めることをやめてはいけないとさえ思っている。
けれど、亡くなった二人を思い出すと、優しい笑顔で私を見つめてくれている。
義母も私に
「しょうがないよ。いいんだよ」
と、言ってくれている気がする。
義父も
「そうだよそうだよ。気にしなくていいんだよ」
と、優しく言ってくれている気がする。
私にとっての震災の思い出は、そんな義母と義父への感謝の思いだ。至らなかった私。成長の無い、取り返しのつかない後悔。そんな全てのことを思い出しつつ、夫と出会えたこと。そして二人を見送り、いつか同じお墓に入れることへの感謝。
そこに入れるその日まで、夫と二人、必ず幸せでいようと決心している。