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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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№202 オオカミ少年

 
ハイビスカス「ピンク・アイス」
2017.08.29(火)

今、職場が荒れている。
お盆休みが明け、仕事に戻った私だったが、ずっとくすぶっている火種から、再び煙が立つように、退職をめぐり周りの他のものまでもが巻き込まれいる。

本来、退職すると口に出しながら、辞めないような人間は、たまに職場に存在するが、今回の職場でも、辞める辞めないと、それはそれは忙しい。

私が今の職場に入る少し前にも、大々的に大荒れの時があったそうだが、その時には退職の挨拶の品も配られたのに、辞めることが取り消されたといういわくつきだ。

実はもっとさかのぼれば、もう何度目か分からない程らしい。そのたびに、周りの物も振り回されて、どうなることかと悩ましい日々を送る羽目になる。

まるでオオカミ少年のようだ。

私としては、ただ落ち着いて仕事がしたいだけだ。たぶん他の人達もそうだろう。
別に子どもではないから、みんな仲良くなんて思いはしない。ただ、仕事に支障がでるような態度はやめてもらいたいし、オーナーと揉めるのも、もういい加減にしてほしいだけだ。

だが、いつの間にか、私自身もその中に飲み込まれ、耳に入ってくるあることないことに、憂鬱になりイライラが溜まってきている。自然に、張本人を批判する気持ちが大きくなって、気が付けば悪口が口から出ていた。

「もうお好きにしてください。」
そんな気持ちで静観したかったのに、その人の言動を見ていると、つい愚痴ってしまう。

そして遂には、そんな愚痴っている自分自身がどうしようもなく嫌になり、疲れ果ててしまうのだ。

「心を穏やかに、周りに流されず、真実を見つめながら、人を批判せず、要らないことは口に出さないで、悲観的にならない。」

そんな自分になりたいと、しみじみと思ってしまうこの頃だが、ちょっとした変化にもメンタルが弱い私には、もう今生は無理なのかなと、反省することしきりだ。

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№201 夏休みに向けて


ルドベキア
2017.08.11(金)

昨日は本来なら仕事は休みの日だが、今日からお休みをいただくために出勤した。

今の歯科医院に勤めて早、1年半。
いろいろな意味で、かなり有名な医院だったので、続けられるかかなり心配だったが、同僚が先に辞めていくような事態にも遭遇し、そのうち自分の居場所が出来た気がする。

歯科医院の仕事といっても、私は衛生士ではないので、過去の歯科医院ではアシスタントと受付業務をしてきた。今は殆どアシスタントの仕事はしていない。衛生士さんが出払ってしまったようなときに、ほんの一瞬バキュームを持つくらいだ。

主な仕事はレセプトの入力と請求書の作成。もちろん診療中には受付業務も兼任しているから結構忙しい。だがパソコンの仕事で、しかも歯科の仕事がしたいという気持ちが満たされているので、とても充実感がある。

ただ、一日中パソコンを使っているので、右手の手首が痛くなったりして、今までみたいに、パソコン大好きとは言えなくなった。もう仕事中だけで十分なのだ。

レセプトの提出日が10日必着であることから、それに合わせて、毎月毎月繰り返し同じ忙しさが廻って来る。

だが、請求書の作成業務を私が一人で担うようになって一年以上が過ぎ、いろいろな工夫と準備ができるようになった。今回も、本来なら3日くらいかけて、いや、もっと以前なら、とてもできないような仕事量を段取りして、請求書を発送することができた。

自分の仕事が自分なりに納得できる仕上がりだと、とても満足感があるものだ。
やっぱり仕事があること。そして収入があること。そしてそういう意味で、社会と関わりがあることは、本当に有り難いことだと思う。

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№200 お墓参り



2017.08.05(土)

京都で育ったからだろうか。お盆には自宅でご供養をしなくてはいけないといった気持ちが、DNAに組み込まれているようでとても気になる。だが今年も、元気なうちにと旅行に行かせていただくことにしたので、少し早いが、今日は先にお墓参りを済ませることにした。

自転車で10分位のところにある我が家のお墓。夫と一緒になってから新しく建てたものなので、歴史を感じるような古さは無い。それだけにかえって、私たちの入るお墓といった感じがするから不思議だ。

今入っているのは夫の両親だけだ。

お盆というと、「地獄の釜の蓋も開く」と言われ、普段ご供養が受けられないような方も、戻ってこられてご供養が受けられると、小さい頃から聞いて育った。
京都では”おしょらいさん(お精霊さん)”と呼んで、ご先祖様を偲ぶのが一般的だ。

お迎えするやり方は宗派によっていろいろだろうが、大体、13日にお迎えしている気分で過ごしていたように思う。
一番忙しいのは、お仏壇の大掃除とお供え物の準備。そして、お墓参りとお寺さんのご接待だった。お寺さんも、お盆の季節は忙しいので、予約してある時間通りに来て、順番にささっと拝んで帰って行かれる感じだったのを思い出す。

そして16日の大文字の送り火をテレビで見ながら、
「あぁ、今年も無事におしょらいさんが帰っていかれたなぁ。」
という、しみじみした気持ちになるのだった。

きっと、京都の古いお家では、お料理やお供え物のしきたりも、いろいろあるに違いないが、私自身は若い世代ということもあって、かなりいい加減なものだったと思う。

だが今は、しきたりも何も無いようにさせてもらっているので、さらに気楽だ。
今日もお墓の前で、亡き夫の両親の言い方を真似したりして、早々に引き上げてきた。

「暑いから早く帰えんなさい。」
「いいよいいよ。ありがとね。」
そんな声が聞こえてくるようなひと時だった。

明日はお仏壇の大掃除をして、お位牌もしっかり綺麗に磨いておこう。
これで少しは気持ちが軽くなって、お盆休みを利用した旅行に出かけられるというものだ。

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№199 梅雨明け


2017.07.25(火)

集中豪雨の災害があちこちで起こるような昨今。
私の住む街では梅雨らしい雨も降らないまま、梅雨明け宣言を聞いた。

じっとしていてもエアコンをかけていないキッチンは地獄の暑さだ。
だが、一日中快適なエアコンの中でお仕事している私には、通勤時の汗も、帰宅後のキッチンでの汗も、大切なものだと思っている。

定期的に運動をして汗を流すことが無い私なのだから、せめて季節の中で強制的に汗をかくのも良い気がするのだ。

帰宅後はまずはシャワーでさっぱりするが、料理を始めるとあっという間にまた汗だくになってしまう。

今は良い物が出来ていて、凍らせてもソフトな首専用の保冷材がある。それを専用のカバーには入れず、簡単に薄手のタオルに挟んで首に巻く。両端を持ち上げて、魚屋さんみたいに鉢巻きにすると、額から出る汗もガードしてくれるのだ。
夏はいつもこの格好。あまりいい格好とは言えないが、眼鏡をかけている私の額からでる汗はレンズを濡らす天敵なのだ。

いでたちはともかく、キッチンには2台の扇風機を配置。換気扇を回して風を行きわたらせる。冷たい飲み物で水分補給しつつ、今日も料理を楽しんだ。

こんなささやかな汗との格闘も大したことでは無い。

水道を捻れば綺麗な水が出、お湯を捻れば好きな温度のお湯が出る。大型冷蔵庫には、冷えた飲み物や食材。調理したお料理が沢山。冷凍庫には保存食だけでなくアイスクリームがたっぷり入っている。

こんな何不自由の無い生活をさせてもらえること自体、本当に有り難いことだと思う。

その時、iPhoneが大雨警報のお知らせを告げた。遠くで雷鳴がする。地球が悲鳴をあげているように感じるのは私だけだろうか。
今夜もエアコン無しでは眠れないような暑さだ。眠れないと明日の仕事にも差し障りが出るので、28度設定の部屋で眠ることだろう。

仕方ないとは思いつつ、満ち足りた生活を傍受しつつ、一方で坂道を転げ落ちているような不安な気持ちになるのは何故だろう。

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№198 六十の手習い


2017.07.22(土)

仕事は充実。
まぁ、人間関係は毎日いろいろある職場だが、仕事の内容に関しては達成感もあるし、なにより収入があるということは非常に嬉しいことだ。

仕事の無い日には、料理を作るために台所にいる時間が以前より多くなった。これも、パソコンから離れるようになって一番大きな変化だ。

ブログも10年以上続けているが、それ以前に自分でHPを作ったりしていた頃が、一番面白くて楽しかった気がする。
誰でも手軽にブログで情報発信できるようになり、しかもパソコンだけでなくiPhoneからもUP出来るようになった今、それら全てのことに新鮮味が無くなっているようだ。

ブログだけだった頃にも、ごあいさつ回り的な「記事を読みましたよ」という足跡つけにまわる時間が、とても負担になった時期があった。
そして今、珍しかったFBにも同じような”疲れ”を感じている自分がいる。

「もう何もかも止めてしまいたい」
そんな衝動に駆られること自体、ネットに関して私自身の興味関心の曲がり角がきているのだろう。

思えば仕事とプライベート、そして家庭を切り盛りする為に必要な時間の、3種類の時間が自分にはある。年齢と共に、その割合は変化し、プライベートな時間が少しずつ増えてきているのも確かだ。

悩んだり妄想にふけったり、ぼーっとしたり眠ったり、何もしない時間も含めて、自由に使える時間があることは嬉しいことだ。
出来れば、数年後には何かしら結果がでるようなことを、続けてみたい気がしている。

まだ60歳ではないが、六十の手習いよろしく、何かにチャレンジしたい気分がムラムラの私だ。

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№197 梅雨


ホオジロ
2017.07.13(木)

真っ青な空に照り付ける太陽。
暑い…。

毎日、熱中症の注意がニュースで出ているが、この頃は赤からさらに酷い紫になっているのを見て、それだけでもうフラッとしてしまう。

確かまだ梅雨だったはずだ。

雨がシトシト降って、
「あぁ、今日も洗濯物が乾かないや」
などと呟く。
雨は降ればうっとうしい気分にもなるが、窓ガラスに流れる雨だれを見るのも、雨の降る中を走り去る車の音を聞くのも、雨に濡れた紫陽花も好きな私は、さほど梅雨が嫌いではない。

何より、大きな木や家の屋根も、雨は綺麗に洗い流してくれる。天からのシャワーだと思うと、それはそれで有り難い気持ちにもなるものだ。
ましてや、ある程度降ってくれないと、夏の水事情にも影響が出てしまう。

だがそれにしても、このところの集中豪雨には、本当に恐ろしさを感じる。

梅雨だとかそんな文学的な美しさは微塵もない。山だって川だって、天を仰いで「もう十分」と言っていたことだろう。
そんな集中豪雨で沢山の方が被害を受け、亡くなった方もいると聞くと本当に言葉にならない。

降れば一点集中型の雨の降らせ方は止めていただきたい。
小さい頃に歌った下駄隠しの唄ではないが、
「天の神様のいうとおり」
とはいかない最近のお天気に、空を見上げて
「何とかよろしくお願いします」
と今日も呟いた私だった。

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№196 深夜のゲーム


アオサギ
2017.07.09(日)

昨夜は次男と次男の彼女と私の三人でゲームに興じた。

何という名前のゲームだったのかはよく分からないが、私はPCの画面の中で爆弾を目の前にして、二人から情報を得て爆弾を解除するというものだ。

上手くできたもので、二人はそれぞれスマホの画面から、爆弾の取り扱い説明書を読むことができる。

ルールとしてPCの画面は私一人しか見てはいけない。
ようするに、どんな爆弾かの説明は、私が言葉で行わなければならないのだ。

初めて目にするような物を、言葉だけで説明するのはとても難しいが、こちらは目の前の爆弾が爆発すれば死んでしまうのだから、必死になってしまう。
もちろん、ゲームなのだが、これがなかなかどうして、どんどん減っていく時間だけでなく、音楽の効果もあったりして、つい必死で説明してしまう。

息子や彼女も、私のいうことをメモにとって調べたり、指示したりするのがだが、頭を使うようで二人も楽しんでいたようだ。

せっかちな性格の私は、二人が調べてくれている”待つ”時間がとても辛い。思わぬところで、性格が出てしまうのも、このゲームの面白さかも知れない。

なにより一番面白いなと感じたことは、何度かやるうちに伝え方のルールが出来上がっていくことだった。もちろんゲームの方も、そうおいそれと簡単にはいかないように作ってある。少しずつ複雑になっていくので、余計に白熱するようにできているのだ。

わぁわぁ騒ぎながら、何度も爆死したが、とても楽しい時間を過ごした。

ところで、全く関係ない話だが、やっぱり防災訓練って必要だなと思った夜だった。

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№195 気が付けば…


セグロセキレイ
2017.07.06(水)

お昼休みと言っても、スタッフルームも無い今の職場。受付のデスクが私の居場所だから、電話が鳴れば出ないわけにもいかない。気の小さいところがある私。せめてしっかり休憩時間を取りたくて、近所のスーパーをぶらつく。

何処へ行っても高齢者が多い。その為、買い物中にも一息つけるように、あちこちにベンチがある。自分はまだ高齢者ではないつもりだが、有り難い気持ちで腰かける。

ぼーっと眺めていると、陳列された商品から移り変わる季節を感じた。
まだ梅雨のはずなのに、物凄い暑さだ。夏になる前にすでに夏バテ気味の私には、ちょっと涼し気な色に染められた「うなぎ」の旗を見ただけで、なんだか効き目を感じたりする。

旗の後ろが何やら美しい。よく見ると花火だ。手持ち花火や小さめの打ち上げ花火が色とりどりに綺麗に並べられている。

「もう花火なんだ…」

昨日は台風の影響で酷い雨だった。今日も避難勧告が出ている地域があったりして、最近の極端な天候には参ってしまう。

どうも地球も調子悪いような気がしてならない。もしかして、地球も年をとってきているのだろうか。それとも、まだまだ元気真っ盛りで、時々癇癪を起したみたいなお天気になってしまうのだろうか。

夏の暑さが大の苦手な私には、とにかく息をするのも辛い季節が到来している。
気が付けば7月の声を聞いて、日記を書くことを思い出した。

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№194 感動できる心



2017.06.27(火)

何の話しからだったかは忘れたが、先日長男と話していて。私が言った言葉に長男が、
「俺が一番荒れてた頃、母さんがそう言ったのが今でもずっと残ってるよ」
と、ポツリと言うのでとても驚いた。

私が言った言葉とは、
「どんな些細なことでも、感動できる心が大切」
ということで、これは常々思っていることだった。自分では『幸せになるコツ』だとも思っている事だ。

言い換えれば、ちょっとしたことにも全力で喜べる。ほんのちょっとしたことでも嬉しいなと感じられる。そんな物事に感動する心を失いたくないということだ。

同じようなことがあっても、同じような景色を見ても、同じように過ごしていても、面白いことや楽しいことを、見落とさないで喜べたら、どんなに素敵なことだろう。

何歳になっても、感動する心を無くしたくないなと、今更ながらに思う。

東京へ引っ越して、再婚したのは長男が中2の頃。本人は荒れていた時期と捉えていたようだが、私には至極当たり前のような気持もあったし、長男が荒れたくなる気持ちも分かる気もしていたから、言葉にするのは難しいが、何というか、成長するときの歪。それとも、生まれ出時の苦しみ…みたいな感じで長男を見つめていたことを思い出す。

思うようにいかない苛立ちの中で、もがき苦しむ姿を見るのは辛く、けれど母も同じなんだよと心の中で思いつつ、なんの力にもなれない無力な母であることを、心の底から申し訳なく思ったことも多々あった。

そんな気持ちの中で、自分自身をしあわせにする方法があるとしたら、きっとそれは自分の心次第のような気がして、きっと自分自身に言い聞かせるように、子どもたちにも話したのかも知れない。

あれから10年以上たった今、息子の心の中に私の言葉が生きていることを知って、嬉しいような怖いような、そして、今でこそ思う、母と言えどもさほど変わらない私なのに、母にしてもらったことは、やっぱりとてもスゴイことだったんだなと思ってしまった。

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№193 怠け者


コゲラ
2017.06.26(月)

本当は何がしたいのかな…と、考えてしまう。
「はたして私がやりたいことはこれだったっけ?」

というような気分になってくる。

もちろんお菓子やパン作りも楽しい。
まだまだ、初心者の私には、未知の世界を旅しているようで、ワクワク感がたまらない。

やりたいことと、やらなきゃなと思うことは、ちょっと違う。

こういうところで、怠け者たるところがばれてしまう。

とりあえず、やりたくないけどやらなきゃということも含めて、ちょっと書きだしてみた。

_________

家の掃除
いわゆる断捨離
自分のコーナーの不用品の破棄
過去旅の記録を書いてアップ
写真の整理
 (鳥・マンホール・駅舎など撮りためた物を整理したい)

__________

ここまで書いていてふと思った。
書きたいことを書きたい。

たぶんこれなんだろうな。
自分が一番やりたいことって。

ケーキを作るのも、パンを焼くのも楽しいけれど、腰を落ち着けて自分の心に向き合って、本当にやりたいことに時間を使えるようになりたい。

こんなことをグダグダ書いてる私の本性は怠け者です。

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