2017.08.05(土)
京都で育ったからだろうか。お盆には自宅でご供養をしなくてはいけないといった気持ちが、DNAに組み込まれているようでとても気になる。だが今年も、元気なうちにと旅行に行かせていただくことにしたので、少し早いが、今日は先にお墓参りを済ませることにした。
自転車で10分位のところにある我が家のお墓。夫と一緒になってから新しく建てたものなので、歴史を感じるような古さは無い。それだけにかえって、私たちの入るお墓といった感じがするから不思議だ。
今入っているのは夫の両親だけだ。
お盆というと、「地獄の釜の蓋も開く」と言われ、普段ご供養が受けられないような方も、戻ってこられてご供養が受けられると、小さい頃から聞いて育った。
京都では”おしょらいさん(お精霊さん)”と呼んで、ご先祖様を偲ぶのが一般的だ。
お迎えするやり方は宗派によっていろいろだろうが、大体、13日にお迎えしている気分で過ごしていたように思う。
一番忙しいのは、お仏壇の大掃除とお供え物の準備。そして、お墓参りとお寺さんのご接待だった。お寺さんも、お盆の季節は忙しいので、予約してある時間通りに来て、順番にささっと拝んで帰って行かれる感じだったのを思い出す。
そして16日の大文字の送り火をテレビで見ながら、
「あぁ、今年も無事におしょらいさんが帰っていかれたなぁ。」
という、しみじみした気持ちになるのだった。
きっと、京都の古いお家では、お料理やお供え物のしきたりも、いろいろあるに違いないが、私自身は若い世代ということもあって、かなりいい加減なものだったと思う。
だが今は、しきたりも何も無いようにさせてもらっているので、さらに気楽だ。
今日もお墓の前で、亡き夫の両親の言い方を真似したりして、早々に引き上げてきた。
「暑いから早く帰えんなさい。」
「いいよいいよ。ありがとね。」
そんな声が聞こえてくるようなひと時だった。
明日はお仏壇の大掃除をして、お位牌もしっかり綺麗に磨いておこう。
これで少しは気持ちが軽くなって、お盆休みを利用した旅行に出かけられるというものだ。