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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

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№211 同窓会



2017.11.19(日)

約37年ぶりに高校時代の友達に会うために同窓会に参加してきた。

いつの間にそんなに月日が経ったのかと思うほど、少しばかり不思議な感覚だった。
数年前から同期生の合同ということで、同窓会が開催されていることは、FBで知るところとではあったが、実際に同窓会に行く決心をするには、中々敷居が高った。

それというのも私は、高校を卒業してから意識的に付き合いを避けていた所があるからだ。

思うように進学出来なかったことや、仲の良かった友達が殆ど短大へ進んだことなど、就職したことが負い目になっていたんだと思う。

時は流れ、流れて、そしてもうそんなことなど、どうでもいいような年になったのだと思う。そういう意味では、FBで高校時代の友達たちと再び繋がることが出来たのは、今のネット社会のお蔭だ。

それでも、同窓会に行くにはかなり勇気がいった。
だが、行ってみると、次から次へと話しが弾む懐かしい顔、顔、顔…。食べる暇も無い程おしゃべりに興じ、喉はカラカラ。興奮しているので汗もダクダク。立食パーティなのに、殆ど食べないで、何とか飲み放題だけは元を取った感じの3時間だった。

特に会いたいと思っていた友達は、やはり部活の面々。バドミントン部のみんなだ。
そして記憶に残る担任の先生。それから現在FBでよくいいねを押してくれている友達。

そしてそして…高校時代のほのかな思い出のある男の子。
といっても、すっかりオジンになっていたし、私ももちろんおばはんには違いないが、やっぱり淡いような恋心を抱いた彼の姿を見ると、何ということも無く嬉しかった。

お互いに変わり果てた姿を笑い合い、それでも話し方や仕草は高校時代そのままで、薄くなった頭髪にもかかわらず、少年だった面影はやっぱり見て取れる。

面白いものだ。

歳月が流れた40年近く。皆それぞれに仕事をし、伴侶をみつけ、子どもを育て、もう孫がいたりと、人生の一通りのことを経験したようだ。

この年になれば亡くなった友達も数名いる中で、こうして元気に会えたことは、本当に嬉しい出来事だった。

子どもでいられる時間なんて、何と短いことか。だからこそ、きらめいていたように感じるのかもしれない。
同窓会の会場を後に、京都タワーを見上げながら思った。

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№210 怪我


ハナイソギク
2017.11.23(日)

怪我と言っても大したことは無い。

昨夜、夕食の準備をしていたときに、珍しく人差し指の腹を軽く切った。
これは先日焼いた、りんごの薔薇ケーキを切るときに包丁を砥いだので、とても良く切れるようになっており、少し刃先に触れてしまって切れたものだ。
といっても、わたしにすればかなり珍しいことで、あれ?と言った感じだった。

そして今日は、夫の散髪をしようと思い、バリカンを包んでいる布を留めている輪ゴムで、右手の、これもまた人差し指を切った。
こちらは何故?と思うような切り方。濃いめの血が流れて、血で手がべたべたして始めて気が付いた。輪ゴムといっても太めの四角いゴムの、角がちょうど肉に刺さった感じの切り方だった。

こんな風に体を怪我してしまったとき、体に申し訳ないことをしたなと思う。今回の場合は指先の皮膚組織や毛細血管など、傷つけてしまったそれらに対してごめんねと思ってしまう。

そしてもう一つ気になることは、二日続けて人差し指を切ったということだ。

普通、そんなことは気にならないことかも知れないが、切った指が人差し指というのが私にはとても気になる。特に指の中では親指と人差し指は気になる方だと思う。

頭に浮かんだことはただひとつ。

一昨日、人の悪口を言ったことだ。
退職した人が、グループLINE(まだ退出していない)でメッセージを入れて来たと思っていたら、なんと今度は医院を訪れた。
直接口には出さないが戻りたいことはありありで、スタッフの誰かから、
「あなたが居なくて大変だから、戻って来てほしい」
という言葉をかけて欲しい様子に思えてならなかった。

私は彼女が辞めると直接的に仕事量が増えるので、辞めることを止めたのだが、「死んでも嫌だ」と言って辞めて行った。その時の彼女を思うと、退職後のこの変わりように、つい彼女を批判するような言葉を吐いてしまったのだった。

辞めた彼女が戻ってくるかどうかは、採用する院長の気持ち一つだ。何事も「俺は経営者だ」を口癖にしている院長だから、彼女が泣き付けば情にほだされて再雇用も十分あり得るだろう。

再就職に苦慮していることをほのめかしながら、彼女が口にした言葉は
「ここは良い職場だよ…ほんと。」

二日続けて人差し指を切ってしまった私。
心を乱して人様のことをあれこれ云うなと、天から叱られた気がする。

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№209 意地


2017.10.21(土)

なんと何と、あっという間に一か月が経ってしまった。
ここのところ、突然襲ってきた真冬の寒さや冷たい雨の為、ちょっとしたマイブームになっていたウォーキングもお休みしてしまっている。

仕事は相変わらず忙しい。

常勤の正社員1人と、午後からのパート勤務1人が同時に辞めてしまったので、その分のしわ寄せがどっと覆いかぶさっているからだ。

だが、有り難いことに、今まで事務仕事をしていなかった歯科衛生士さんたちも手伝ってくれて、何とか乗り越えられそうな感じだ。
見通しがつくということは、忙しくても気持ちが楽になるのだと痛感する。

よく聞いてみると、実は今までにも手の空いた時などに事務仕事を手伝おうかと声をかけた事があったそうだ。だが責任者でもあった辞めた彼女が、事務のことを分からない人が手伝うとぐちゃぐちゃになるから手伝って欲しくないと言ったことで、手伝うことができなかったと始めて知った。

今では人手不足もあり、手伝ってもらえないと回らないこともあるが、一部手伝ってもらうことで、今まで孤立していた事務職と衛生士さんとの距離が縮まった気がする。

確かに、責任を持って最後までやらないといけない事柄もあるし、しばらくは見直しなども必要だから、かえって手間がかかることもあるのは確かだ。

しかし、きちんと内容を伝えれば、代わりにやってもらえることも多い。
なんといっても、自分だけにしか出来ないようなやり方で、仕事を私物化するのはちょっと違う気がするのだ。

実際私自身が、手伝うことを申し出ても、手を出さないでくれと言われたり、何をやっているのかさえも教えてもらえなかったりと、思い出すといろいろなことがあった。
「『分からなかったら聞いてね』と言っているのに、聞いてこないのは、聞かない人が悪い。」そんな理屈を言っていた。彼女のいじめから体調を悪くして辞めて行った人のことも、自分の理屈でダメ出ししていたことを思い出す。

そんな彼女だが、まったく引継ぎも無く、ついに18年も務めた職場を去って行った。

人にはいろんな考えがあるのも確かだ。
自分が知った知識を、他人に簡単に教えたくないという心理も、少なからず分かる気もする。自分にしか出来ないことを沢山作って、自分の立場を強固なものにしたいという気持ちもあったのかも知れない。

そんなことやあんなこと、そして入社以来の様々な軋轢の中で、なんとか険悪にならないように、彼女との関係を取り繕ってきた私だが、こうして彼女が去った今、チキンな私の心の中にも、ほんのちょっとだけだが「意地」が芽生えているのに気が付いた。

皆の力を借りて、しっかり仕事をしていこうと思う。

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№208 ウォーキング


アマドコロ
2017.09.28(木)

ちょうど一週間前、職場の責任者が退職されたことをきっかけに歩き出した。

毎晩、毎晩、歩くコースを考えたりしながら試行錯誤の末、一週間続けてきて、なんとなく落ち着くコースを作り出した。

膝や腰に負担がかからないように気を付けながら、軽くジョギングしたい気分の時には、ほんの少しだけだが”走る”ような雰囲気になってみたりもする。

走れるなんて私にとってはまるで夢のようだ。

大方は、歩幅に気を付けながら、軽く息が弾む程度のスピードで歩く。

夜風が心地よい。
金木犀の香りもする。
近づけば止んでしまう、小さな虫たちの声。

「秋だなぁー。」
などと感慨深く思いながら、夜空を見上げたりしながら歩く。

仕事の現場は、事務の専門が私一人だけになり、誰にも本当の忙しさなど理解されない。

だがそれでもいいではないか。
「天知る地知る己知る」

私は知っている。
怠けることもなく、精一杯のことはしている。

怒鳴ったり、めちゃめちゃなことを言うオーナーの言葉に翻弄されながら、傷つきながら。
それでも私は、出来る限りのことはやっている。
誰に認められることが無くても、自分自身が知っていればいいことだ。

夜風は爽やかに吹いている。
今日という唯一の一日。
そして夜の帳が明ける頃には、また新しい、そして唯一の一日がやってくる。

ウォーキングは、体に良いだけでなく、私にとっては神経に良いことが分かった。

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№207 新たな一歩


2017.09.20(木)

一昨日に一人、そして昨日に一人。二人の同僚が去って行った。

世間ではあまり例はないかと思うが、我が職場の特徴の一つに、辞めたからと言って、もう一生断絶といった感じではない。むしろ、いろいろあって辞めて行った人であっても、戻ってきてまた働くといったことが少なくない。

よく言えば、ご縁を大切にする。
悪くは…言わないことにする。

そして私は、水曜日で朝から夜までの9時間労働だというのに、何故だが帰宅後も元気があった。

何か始めたい。
新たなことを始めてみたい。
そんな気分になる夜だった。

そこで、今まで何度もやろうと思いながら出来なかったウォーキングをやってみることにした。
本当は夫と一緒にウォーキングしたいのだが、夫のペースに合わせると、かなり遅くて、気を使わなくてはならなくなる。
自分のペースで好きなように歩きたい。
そんな思いもあって、なかなか一人で歩きに行きたいとは言えなかった。

だが、最近また太ってしまったこともあり、歩きに行くといっても夫も止めなかった。

ほっとして、iPhoneを持ち、何分ぐらいで何歩くらいあるけるのか。そして、距離や消費カロリーを時々確かめながら歩いた。

気持ちいい。
夜風が爽やかで、暑がりの私にはちょうどいい季節になってきた。

辞めて行った人たちのことを想いながら、私も新たな一歩を踏み出した。

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№206 里帰り


2017.09.18(月)

台風の被害が出るなどした三連休だったが、同じ職場の為になかなか一緒に休みが取れない次男と彼女も、この連休にはうまく休みが取れたのを利用し、彼女がお泊りに来ていた。その後、入れ違いに他県へと引っ越した長男夫婦が、久しぶりに来たりして、大忙しの日々だった。

皆、それぞれの家に帰り、次男は仕事に出かけ、夫婦二人だけの日常に戻ると、一気に疲れが出て、お昼ご飯を食べた後、2時間あまえ爆睡してしまった。

夫が見ているテレビの音は聞こえているのだが、一向に体が動かない。起きて洗濯をしなくてはと頭では思っているのだが、体が眠ったまま起きられないといった感じだった。

今はまだ次男が家に居るが、それでも時々研修があったりして、家に居ないことも多い。
これが本当に次男も結婚して出て行ったら、この連休中のような賑やかな日は、年に一回の里帰りのように、たとえばお正月とかになるのだろう。

皆が集ってくれることは本当に嬉しい。
あれこれ夕飯の献立を考えるのも、たまに帰って来る、もしくはたまに泊まっていくのだからと、気合が入るし、それもまた楽しい。

だがこの疲れようはどういうことだろう。

訪ねて来てくれるだけでも、有り難いと思わなくてはならないのだろうが、どうも本音は夫婦ふたりだけの方が楽なのだ。

過保護のカホコの最終回に、カホコが亡くなったばぁばの家で、親族の誕生会の準備をするシーンがあったが、ばぁばのことを凄いといっていたことをふと思い出した。

自分の元へ帰ってきてくる者の為に、ささやかながら準備万端整えることの大変さ。
亡くなった義母が私たちにしてくれたように、これから先も年に1回くらいのことなのだから、私も頑張らなくてはと思ったが、皆帰った後は、きっとこんな気分だったのだろうなと、初めて分かった気がした。

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№205 求人


2017.09.16(土)

ハローワークの登録を再開して、すぐに一人の面接希望者が現れた。

基本、来る者拒まず、去るもの追わずの我が職場。面接後、とりあえず採用。
早速、昨日の金曜日から初出勤とあいなった。が、新人さんが来ない。
初日とあれば、せめて5分くらい前には来てもよさそうなものだが、待てども待てども現れない。

こりゃバックレたな…。

そう思っていた頃に電話あり。だがその第一声がなんと、
「午後3時から行きます。」
私…「はぁ?」

会話が成立しない。謎の人物。
何度かのやり取りののち、やっと午前9時が約束の時間だったことを認めたが、さらに驚くことを言いだした。

「激しい痙攣が起こって意識が無かった。」
私…「大丈夫ですか?」
「まだ、頭が痛い。」
私…「とりあえず、今日はお休みされた方がいいと思うので、院長に伝えます。」

こんなやり取りって、私的にはありえない。
理由も恐ろしい。
「痙攣」「意識が無い」
チキンの私はこんな言葉に翻弄されて、
「こんなこと言う人と働くの、怖いよー!」
と、叫んでしまった。

だが、帰宅して夫と話していて教えてもらった。
「約束の午前9時に行けなかった理由に、痙攣したと使っただけだろう。」
私…「なるほど!」

夫が言うには、もちろん本当に具合が悪いという場合もあるだろうが、それなら働くことはできないはずだから、ただ単に、その場しのぎで行けなかった理由として使っただけという場合もあるはずとのこと。

そんなことを理由にするという考えを、私自身が持ち合わせていなかったので、夫の言葉にもすごく驚いたが、何だか目からウロコだった。

確かに「発作」とか「痙攣」とかいう、普段聞きなれない言葉を聞くと、それだけで大変なんだなと思ってしまった私がいた。実におバカな私。相手の事を何も知りもせずに、何か大変なんだろうなと勝手に思ってしまった気がする。

私という人間が考えること、感じることが、一般的だとは自分が思っているだけで、自分の想像もできない考えや感じ方が世の中には存在する。

ホワイトテープで訂正した箇所が多すぎる、書きなぐったような履歴書を持ってきたことや、面接の時間にも遅刻してきたこと。そして初日の約束した時間に来れないで、電話してきたはいいが、約束したことそのものを無かったことのように話す。

一体どういう人間なんだろう。

そんな彼女は火曜日にもう一度チャンスをもらったようだ。
私はといえば、ちょっと宇宙人的な感覚で彼女を見てしまいそうだ。

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No.205 仕事



2017.09.12(火)

仕事をしていれば毎日色々嫌な事にぶつかるが、今日は自分がもし男だったら、真っ直ぐ家には帰らないで、どこかで一杯ひっかけて帰りたいような気分になる日だった。

だが悲しいかな、夫は家で私の帰りを待っている。
晩ご飯に洗濯物。帰れば休憩無しで、家事が待ち構えている。

今、職場がゴタゴタしているので余計に疲れるのだが、今日は、夫に愛想良くする余裕も無い程疲れていた。

何事もなかったように、ニコニコする元気も無く、夫に職場の愚痴を言うのもためらわれる。
とにかく1人になりたかった。

キッチンで料理を作ろうとするも、気力が湧かず、空いた長男の部屋でしばらく横になっていた。

考えても答えの出ないイライラ。

そしてそんな精神状態でも、家事をしなくちゃいけない主婦の性。

何もかも放り投げて、どこかへ行ってしまいたい。
そんな気分になっていた。

だが果たして、どこかへ行っても帰りたくなるだろうことは明白だ。
そう思うと、深刻に考えるとドンドン困難な状況に思われるが、果たしてそうなのだろうかとふと考えた。

そんなに大した事では無い。
と思えば、実は大した事ではないような気にもなってくる。

社会人になって働いている息子達も、きっと嫌な事があっても、辛抱しているのだろう。
そう思うと、私も辛抱しようと思える気がした。

物凄く嫌な気分になる日だったが、それでも皆んな生きているじゃないか…と、思った。

問題は、自分の見方次第なのかも知れない。

ケ・セラ・セラでいこう。
生きているって素晴らしい。
なんでも無いさ…これくらいのこと。

笑う元気が復活した私だった。

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№204 充実感


ブーゲンビリア「チェリー・ブロッサム」
2017.09.10(日)

今日は住んでいる所の一斉大掃除だった。
昨日も今朝も、雨が降って中止にならないかなと、ブツブツ呟いていた私だったが、頑張って参加してよかった。

何より、体が動くことの嬉しさ。そして、今回欠席者が多かったようで、ご近所の方からあてにされていた言葉を聞いて、参加して良かったなと思ったのだった。

腰痛は今でも完治したとは言えないが、少し前に比べるととても楽に動けるようになった。痛みが酷くて動けない時期を経験すると、こうして動けることの有り難さがしみじみと増すものだ。

そして気分が良い理由はもう一つ。この夏の旅行記を書き終えたからだ。

今回の旅は10日間と少し長めだったため、いつものように、帰ってから書こうと思っているとなかなか書けなくなってしまうことを見越して、旅行中にもiPhoneからUPできるように、少しだけ下準備して旅に出た。

旅行中は歩き疲れと夜のお酒で、なかなかUP出来ないのが実情なのだが、今回は列車の移動時間もあったので、そんな昼間の時間を利用して、書いたものを順次UPしていった。

それでも、1日分が3回~4回に分けないと長くなってしまう分量なので、結局は旅が終わってからも順次UPし続けていたのだった。

旅行に出た8月の10日から1回目を書きだし、後2回を残すのみ。9月12日に最終回を迎える。丸一か月、旅行ネタで書く方でも遊べたわけだ。

今後はカメラで撮った写真を順次UPできるように整理したいと考えている。アメブロの下書きに保存して、公開を待つのみになっている記事があると、貯金があるようで豊かな気分になるものだ。

下書き保存の味をしめたかも知れない。

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№203 オオカミ少年のその後


クレマチス星のフラメンコ
2017.09.07(木)

あっという間に9月を迎えてしまった。
日記というものは、本当にコツコツつけていないと、こんな風に間が空いてしまうものだと、8月は3日しか入れていないブログを眺めながら思っている。

何度もオオカミが来るぞと言っては、人々を驚かせていたオオカミ少年。私の職場のそのお方も、ついに人々から見放された感があり、誰も相手にしなくなったような雰囲気だ。

それでも20年近くも勤め上げてきた職場だから、オーナーとも夫婦のような関係があるように思う。そんなオーナーは、自分から解雇の話しを出したにもかかわらず、未練たらたらだ。

こういう時は、本当に男の人は頑固だし、女の方は強情だ。
お互いに折れないから決別になっただけのことなのだが、オーナーにすれば、張本人の彼女に求めていることは、たぶん可愛らしさ。しかも自分にとって都合のいいかわいらしさだ。

「申し訳ありません。ここで働かせてください。」
頭を下げて、そんな言葉を期待しているに違いない。彼女の方はといえば、死んでもそんなことは言いたくないらしい。まぁ何年来の大きな夫婦喧嘩がついには離婚へと進んだみたいなものだ。

だが、女は腹を括れば強い。もう後ろなんて見ていない気がする彼女のすがすがしい表情が印象的だ。
かたや男の方のオーナーは、大きな支えをなくすことになって、対応に苦慮している。
そして未だに、妄想を描いているように見える。

昔風に言えば、男気があって情に厚い。そんなオーナーだが、見栄っ張りに短気な性格は、なかなか夫にしても難しいだろう。だが、夫ではなく赤の他人。しかも院長なのだから、別に好きとか嫌いとかの感情で判断する必要もないのだ。

彼女の大きな間違いは、長年連れ添い過ぎて、オーナーで赤の他人であることを忘れてしまったところにあるのかも知れない。
自分の夫でも無いオーナーに対して、
「あんな人は大嫌い」だと公言してはばからないことからも、かなりずれている気がする。

『別に嫌いでもいいじゃない。
あっちだって、こっちのことを特に好きだなんて思っていないだろうし。
逆にそんな感情があると、職場がややこしくなるわ。』

心の中でそんなことを呟きながら、9月20日付で退職すると宣言はしているが、まだどんな話しで覆るか分からな気がしている私がいる。

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