スズメ
2017.06.18(月)
腰痛が酷くて痛そうにしていると、次男が心配そうに、
「母さん、長生きしてよ」
などとしおらしいことを言ってくれた。
「もうそろそろ逝ってくれてもいいよって言われるくらい、長生きするわー」
と、大笑いしながら返事した私だった。
人は長生きしてねと言う。
私も、亡くなった義父母にも幾度となくそう言ったものだった。
早く死ねとは殆どの人は口にしない。
人には長生きして欲しいと思うくせに、自分のことはというと、特に長く生きたいとは思わない。元気に長生きならいいが、それでも仙人じゃあるまいし、100も200も生きたいとは思わないというのが本音だ。
人それぞれ基準は違うものの、ある程度の年齢に達すれば、普通にそこそこ満足したところで、あちらの世界に旅立ちたいというのが、一般的な願いではないだろうか。
またこの”ある程度”というのが、人によっては実際かなり差があることだとも思う。
だが本当に、こればかりはそれがいつなのか、誰にも分からない。
こんなことを書いていて、明日どうなるかも知れないし、かといって、ずっとずぅーっと長生きするかも知れない。
何となくだが、お産の時に似ている気がする。
いつなのかは分からない。けれどその日は必ずやってくる。
生まれ出る命と、去りゆく命。
お産なら、何日くらいと大体決まっているが、この去りゆく日だけは、同じ人でもかなりの幅があるから、予測不可能な気がする。
その時がどんな形でいつ訪れても、なるべくジタバタしないで気持ちよくあちらの世界に旅立ちたいなと思う。そんな心構えを本気で考える年齢になったように思うし、そういうことを意識しながら生きている今こそ、人生の中でもっとも生きていることを実感できる時期なのかも知れない。