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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

№192 リア充


コサギ
2017.06.25(日)

最近、やっとこんな言葉があることを知った。

リアル(現実)の生活が充実している人物のことを指すらしい。もともとは、恋人がいる人のことをリアルに充実してんじゃん的に言い出したとも知った。

人の心は海のようだ。穏やかな時もあれば、時に悲しみに憎しみに荒れ狂うこともある。振れ幅が大きい人もあれば小さい人もいるが、どんな人でも両面を持ち合わせているものだと思う。

リア充の人のネットに上げた情報が嫉みをかうことも少なくないと知り、つまらない気分になってしまった。

でもそういえば、私の友人がお手製の料理をUPしているときに、こんな文章が書かれていて驚いたことがある。
「料理って、自慢っぽいけど、今日は頑張って作ったからたまにはいいよね」

そうなの?
料理とかは自慢なの?

そんなこと言い出したら、FB全部が自慢じゃないの?

思わず心の中でそう言い返してしまった。
その友達は、料理は自慢だと感じているらしいが、本人はライブをやったりとすごく充実している様子を日々綴っているが、それは”自慢”じゃないんだろうか?

そこへきて、このリア充という言葉の存在。

「いいじゃないの。ささやかな楽しみや喜びを分け合って、シェアすれば…」

人の喜びを一緒に喜び会える場が、こういったSNSと呼ばれるものだと思っていたが、あまりに幸せそうな人を見れば、嫉む気持ちがでるものなのだろう。

私自身はといえば、良い意味でも悪い意味でも、もともと他人様の事には興味が無い人間だ。だからこそ、興味がわいた数少ない人だけに、共感したり感動したりしている毎日だが、自分の心で選んだ人が幸せなら嬉しいし、悲しいことがあれば同じように辛い気持ちになる。

もちろんネット上のことだから、自分が感じているような人ではないかも知れない。だが、それも面白いではないか。
実際、数少ないネット上で、友達になりたいなと思う人も数名いるし、相手はこちらをどう思っているかは分からないが、素敵な人とお近づきになれて嬉しいなと思うことも多々ある。

一昔前なら、出会うことも知り合うことも無かったのに、共感できる考え方や生き方に触れることができるチャンスをネットは与えてくれた。

リア充の人がいっぱいいる日本って、いい国なんじゃないかなと思う反面、そんな人たちを見て心を曇らせる人もいることを知って、光と闇を感じた日だった。

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