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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

№154 母として


カンヒザクラ
2017.04.17(月) 

息子が結婚を決めた相手の両親に、二人でご挨拶に行ってきたと報告を受けた。

息子が決めた相手に不足を言う気は全くない。むしろ、彼の人生なんだから、自分の決めたようにやればいいと思っているし、そういう意味で応援もしている。

だが、彼女の母親が、実は今よく話題になっている、一卵性母娘の要素をかなり強く持っている方だと分かったようで、この結婚に対して、かなり心配になってしまった。

だからといって、どうこうする気も無いが、私自身も、離婚して連れ子で再婚していることもあり、いつまでたっても、息子の事が心配なところがあるのも事実で、それも実は一種の依存なのかもしれないとふと思った。

程度の差こそあれ、子どもに対しての母親の依存度は、多かれ少なかれあるように思う。

若い二人が縁あって一緒になろうと決めたのだ。
今の時代、なかなかそう決心できる相手と巡り合うことも難しい。

私に何ができるのかといえば、何もできやしない。

今までの私の感性は、やっぱり私の親からの影響が大きいだろうし、私自身は親を敬愛するどころか嫌っていたので、親への依存も、親への期待も持ち合わせていないが、逆にそんな親に育てられたからこそ、いい親になろうと、もしかしたら偏った育て方をしてしまったかもしれないと、今になって思う。

人間、何が良くて、何が悪いか分からないところがある。

ただ、自分がしてもらったことは、やっぱり我が子にするのは当たり前のところはあるし、自分がされて嫌だったことは、我が子にだけはやりたくないと思うものだと思う。

息子の彼女が、どんな家庭環境で、どのように愛情を受けて育ったのか、私には分からない。

ただ、息子と彼女が二人で家庭を築くために、新たな旅立ちをしようとしていることを、ただ悲しんでばかりいるのはいかがなものかと思うし、そのような母親の姿を見せることは、人としてふがいないと思う。だがその一方で、そのように号泣できる彼女の母親という人も、ある意味幸せなひとだなと思うし、愚かな母親だなと感じる。

そんな母親を持った彼女の苦労と、そんな苦労を背負っている彼女を選んだ息子が、私には不憫でならないと思ってしまうのもまた、私がただの愚かな母ということだと思う。

共に、子どもの幸せを願わない親はいないことは確かなことだ。だがそんな仮面を被っていることにさえ気づけない、自分のことが一番の親もいるし、むしろ仮面を被っているだけまだましな、露骨に自分が一番の親も世の中には存在する。

私は親としてどうありたいのか。また、一人の女性として、どう生きたいのか。そして何より、人としてどのように残りの人生を過ごすべきなのか。

息子の結婚と、彼女の母親の事を聞き、大きな課題を見た思いがした。

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