シロツメグサ
2017.03.05(日)
久しぶりに、アメーバのピグライフにINしてみた。
お庭で野菜やお花を育てるゲームだが、箱庭のようで、一時は本当にこのゲームにはまっていた。というより、お庭の中に逃げ込んでいた時期があった。
ピグライフ自体がもう6周年くらいになるのだが、私がお庭から離れてまだ半年くらいだろうか。
もともと、リアルでも家の中の模様替えが大好きなので、仮想空間の中で、可愛らしい小物や家具が次々手に入るというこのゲームは、夢中になるのも当たり前という感じだ。
その上、自分に似せて作っているピグも、洋服や小物、髪型やお化粧までできるだけでなく、PCの画面の中でいろんな動きができるので、着せ替え人形以上の面白さがある。
PCを始めた2000年当時、文字だけでチャットしていたが、このピグを動かして、
「うんうん」
と頷いて相槌をうったり、涙を流したり、飛び上がって喜んだり、そんなアクションをしながらチャットできるのだから、楽しくないはずがない。
その上、ピグライフのお庭の作物やお花のデザインが、これまた本当に美しい。
ピグライフが始まったばかりの頃は、ピグに対して家具や小物が大き過ぎて、まるでリアル感が無かったが、今ではとても小さいサイズになって、それでいて拡大して見ても、細部まで綺麗に描かれているのには、たかがゲームといえど素晴らしいと思ってしまう。
だが本当に人間というものは、完成するまでが楽しいのだとつくづく感じる。
クエストで手に入れた物を使って、自分独自のお庭を造ることができるのだが、こだわって造り切ってしまうと、次にやりたいのは”破壊”なのだ。
猛烈に壊したくなってしまう。
造っては壊し…そしてまた、造っては壊し…。
そんな繰り返しを何年も続けてきた。
久しぶりにピグライフにINして、仮想空間に広がる可愛らしい小物や花々には、やっぱり魅力を感じるけれど、もうそこで造ろうとは思わない自分が居た。
造っても造っても、それは所詮、仮想空間のことでしかない。
例えば、朽ち果てることもなければ、壊れることもない。いつまでも美しいままだが、変化が無いというのはやっぱり人工の物なのだ。当たり前だけど…。もちろんPCの中なのだから。
何年も何十年も磨き上げられた、木造の木肌のあの深い色合い。そんな美しさとそのぬくもりは、自然の力と人の手が時間をかけて作り出したものだ。
目には見えない時の移ろい。そしてそれに伴う自然の変化。こうした自然の変化を止めることはできないがゆえに、変化しないものへも憧れたり望んだりするのだろうが、やっぱり自然に勝るものは無い気がする。
私にとってのピグライフの時代は終わったのだと思う。