シロアザミゲシ
2017.03.04(土)
幼い頃、おからを食べるとき、こぼすと貧乏になると親から言われ、それ以来、おからを食べるときは、異常なほど緊張するということが続いていた。
どうしておからをこぼすと、貧乏になるのか…。
理由など分からないまま、信じ込んでいたことが何と多いことか。
先日書いた記事の「お朔日」について、親からただ聞いてきたことだが、実際のところはどういうことだったのか、少しググってみた。そのとき「おから」のことについての記事も見つけることができ、驚いてしまった。
京都はもともと一年を通じて食べる日が決まっているものが結構多い。
私などは、ゆるゆるの感覚で教えられた気がするので、七月の土用のうなぎ、六月の水無月、冬至のかぼちゃぐらいしか記憶に残っていない。
本来はもっとあるようだ。
ただ、月末にたべるおからが、もともと「おからを炒る」ということから、集金が上手くできるようにという験をかつぐものだということは、うっすらだか聞いた記憶がある。
また、おからを「きらず」ということから、「お金がきれないように」とも言われるということもあって、おからを落としたり、こぼしたりすると、貧乏になるというようなことを、子どものころ食べるたびに親から言われていたのだと思う。
もちろん、「おからの炊いたん」=「おからの煮物」は、子どものころは食べにくい食べ物だったし、こぼしたり落としたりすると汚いので、気をつけて食べさせるために風習にかこつけて言われてたのだろうと今頃分かった。
関東に嫁いで13年。 テレビの『秘密のケンミンSHOW』を観ていて、
「それ、京都だけやったん?」
と、びっくりすることも多いが、知らない間に親から伝え聞いたことというのは、その土地独特のもので、面白いものだなと思う。
もうおからをこぼすこともなく、上手にお箸も使えるような大人には成長した私だが、それでもおからを見るといまだに緊張してしまうのは、ちょっと困ったことだ。