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華凛の日常

日々感じたことや、懐かしい思い出、旅先での出来事など、思いついたことを毎日書いています。

№109 お雛様


モモ
2017.03.03(金) 

今日はそういえば「桃の節句」だった。
というのも、我が家では女の子がいないだけでなく、お雛様が無くなってしまったので、お雛祭り自体を意識しなくなってしまった。

私が両親から買ってもらったお雛様はもう手元には無い。


京都の友人にちょっといろいろ事情のある友人がいた。離婚して子ども二人を育てていた。実家に頼ることも出来ない中で、長男は生まれながらに少し障害があり、長女は小さいのにお姉ちゃんらしかったことを思い出す。

私が京都を離れることになった時、可愛らしいその女の子に、私のお雛様でよければともらってもらったのだ。

自分の子どものことだけでも大変なのに、引っ越しの日にも顔を出してくれた。

「お雛様、大切にするからね」
と、何度も言ってくれた。

私に女の子は授からなかったが、結婚しても毎年お雛様を出して飾っていたことをその友人も知っていた。お互いが独身の時も、結婚してからも、私の家でお雛祭りを一緒に楽しんだこともあった。

亡くなった私の母から、
「一年に一回しか箱から出してあげられないのだから、必ず出してあげるように」
と、いつも言われていたので、必ず毎年飾っていたお雛様だった。

昔風の6段飾りは、お雛様を飾る段の組み立ても結構大変だった。小物は沢山あるし、古くなってきて扱うのにも神経を使う。だがやっぱりお雛様を飾るのはとても楽しかった。


緋毛氈を作った段に敷いて、まず一番最初に金屏風を飾る。すると部屋の雰囲気がもうそれだけで華やかに感じられたものだ。お人形たちの座る台を準備すると、いよいよ箱から人形を出してゆく。一年ぶりの再会だ。そっとお雛様やお内裏様のお顔にかけてある半紙を取るときの緊張感。そして全てのそれぞれのお人形にお道具を持たせて、勢ぞろいしたときの達成感はとても気持ちのよいものだった。

毎年、お雛祭りが終わると、一体一体、お顔を拭いて言葉をかけながら片付けてゆく。お雛様を飾るときのウキウキする気持ちと、お雛様を片付けるときの今年も出してあげられたという安堵した気持ちは、今でも懐かしく思い出される。


あのお雛様たちは、今も大切に飾ってもらっているのだろうか。それとも、もう壊れて飾れなくなってしまっただろうか。

それにしても、初めて友人宅で箱から出してもらったお雛様たち。
「あれ?」
なんて驚いていたかもしれないと思うと、今更ながら、申し訳ないような気分になってしまう。

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