西洋苧環
2016.12.11(日)
最近流行りのドラマ…いわゆる「逃げ恥」を見ていてふと思う。
賃金が発生するからこそ、お料理も掃除ももっと完璧にと思えるけれど…というセリフがあった。だが、私たち世代の専業主婦は、疑いもなく無償で何もかもやって当たり前だった。
「専業主婦なんだから…。一日中家に居るのだから…」
と、声高にいうような男性もいた時代だ。家事も育児も親戚付き合いも、近所付き合いも。そして夫の親の世話も、もちろん夫の世話も、全てが主婦の仕事だった。
そういうものだと自分自身が思い込んでいた気がする。
極端な話、逃げ恥のように、専業主婦として賃金が発生するなら、どんなにか遣り甲斐もあるだろう。目に見える評価は、報われた気になるのも確かだ。だが賃金が発生するプロともなれば、それなりの完璧さが求められるようで、私にはできそうにない。
むしろこのドラマを見ていて思うことは、いかに普通の生活の中で、連れ合いに感謝できるかということだ。
お互いに気楽に生活できる環境を作り出す。お互いが、一緒にいることも含めて、何事も「当たり前」とは思わず、感謝して楽しく暮らせることが、本当のしあわせなのではないかとしみじみ思う。
よく主婦の仕事に対して、夫の評価が低いような意見を耳にする。だがよく考えてみれば、本当に夫の事を考えて、夫から心から感謝されるような、評価されるような事を自分はしているだろうか。また逆に、夫が居てくれてこその感謝、評価を、自分は態度で示しているのだろうかとも考えてしまう。
長く連れ添えば、お互いに慣れもでてきて、「当たり前」になりがちだ。またそう思えることも、安心感が伴い幸せなことだ。
だができることなら、今ある生活が「当たり前」とはお互いに思わないで、いつまでも連れ合いに対して、双方ともに感謝しあって生活できればいいなと思う。